それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

愛猫が死んだ

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7年間苦楽を共にした愛猫・ましろが7/12に虹の橋を渡ってしまいました。

(写真は生前ですのでご安心を)

私という人間はすぐになんでも忘れてしまうので今のうちにつらつらとましろの最期を書き残しておきたいと思います。

 

***

事の経緯

ましろの体調不良に気がついたのは、3/20頃で、黄色い胃液を嘔吐したのがきっかけでした。

そういえばカリカリの減りが遅いと気づき(うちは置きエサだし、3人家族が気づいたときに入れる方式なので気づきにくい)、さらにハッとしたのは「昨日からシャカシャカブンブンを持ってこない」ということ。

22日のハープレッスンでは先生から「ましろちゃん元気ないですね」と言われて「客観的に見てもそう思いますか!?」とその日のうちに近くの動物病院へ。27日に血液検査の結果を聞きにいったときに、「長くない病気かもしれない」と言われました。

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そのときはまったく病名なども不透明だったのですが、これ以上は地域の病院設備ではわからないということで、4/2に川崎の日本動物高度医療センターへ。がんの専門医に診ていただき、ついにすい臓由来の末期がんだということがわかりました。とてもこれから治療できることはないので、対処療法としてステロイドを打つくらいしかできることはないと言われました。

 

ましろは病院嫌いな猫の中でもおそらく上位に入るレベルで病院が大嫌いなので、つれていくかかなり悩んだのですが、父が「助からないとしても、どうして死んでしまったのかわからないままだともやもやするから」と背中を押してくれたため検査には連れていきました。けれどエコーのために全身麻酔をかけるときに案の定パニックになって糞尿をもらし、なかなかに凄惨な状態で手元に帰ってきて(もちろんドクターたちはできるだけ優しくしてくれたはずです)、そしてましろの怯えきった顔を見て病院にくるのは本当にこれを最後にしようと固く決意しました。

 

***

寛解

ということでましろを連れて帰ったあとは驚くほど何もせず、「なんとか助かる道はあるんじゃないか」と調べたり、がんに聞くと言われている高級な栄養剤を買ったり、といったことは一切せずただ毎日ましろを眺めて過ごしました。

ここに悩みがなかったのは幸いなことでした。末期ガンの猫のためにいろいろと手を尽くすべきか、多くの人は悩むところなのかもしれないのですが、私たち家族(というか私と父)の意見は一致しており、「ありのままにする」というもの。

野生の動物は、具合が悪ければ物陰にひっそりと丸まって身の保全をはかります。そして、自ら死を選ぶことは決してありません。

私もそのようにましろの最後を見守りたいと思いました。

するとどういうことでしょう。

本当に不思議なのですが、病院へ行った日の一週間後くらいから、カリカリを割ともりもり食べるようになったのです。心なしか起きている時間も長くなって、一度はシャカシャカブンブンを持ってきたことも。

「治ったのかも!?」

なんて思うほどは楽観的ではない私ですが、単純に我が子がごはんを食べている姿を見るのは嬉しかったです。

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***

下り坂期

6月の後半くらいから、またましろの病魔が力を増してきて、毎日少しずつ、ましろのからだが重くなっていきました。反して体重はどんどん軽くなって、これまでなでたときに触れることのできなかった箇所をあちこち触れるようになった。

ましろは一日の半分をベッドの下で過ごしていました。寝るでもなく、鳴くでもなく、ただじっと座っているのです。ずーっと香箱座り。何かを我慢しているのか、痛いのか、だるいのか、何もわかりませんでした。

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(水を飲むだけで感激して記念に写真をこっそり撮っていた。気が散らないように消音)

そして1〜2時間に一回リビングに出てきます。私はましろをよーしよしと撫でてやり、粉々にしたカリカリを手でかき混ぜて音を鳴らすとましろがカリカリをくんくん。「頑張れ頑張れ!」と背中を撫でてやると3粒くらい食べてくれます。この“応援”をしないとなぜか食べてくれないから、原稿中でもなんでも、ましろが起きてきたら駆け寄ってなんとか食べるように応援していました。このときほど、フリーランスでよかったと思ったことはないです。

 

そして今月に入ってから、いよいよカリカリも食べられなくなって、食べるのはチャオチュールだけ。それでも食べてくれるのは嬉しい。私の手から、ぺろぺろと食べた。

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(眺めるけれど食べられない)

7/5から、鼻がつまるようになって、腫瘍が鼻の方に広がってきたのだとわかりました。とにかくずっとズルズルと音がなっていて、口呼吸を絶対にしないために相当息苦しそうに見えた。それでもましろは、私が寝る時間になると一緒にベッドに上がってきて、わたしのおなかをふみふみしにきます。

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そして横にぎゅっと丸くなって眠るので、毎日ましろを撫でて、元気な頃だったら絶対に嫌がるような距離感で密着して寝ていました。私が起きてリビングに行くと、必ずついてくる。そしてチャオチュールを食べたあと私が原稿を始めると、じーーーーっとこっちを見て黙っている。仕方がないのでノートパソコンを持って寝室に行くとついてきて、ベッドに上がって丸くなる。そんなこんなで私はほぼ毎日寝室で原稿を書きました(しばしば一緒に寝てしまうことも笑)。

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(これらは病気がわかる前。見返してみると元から仕事中もいつも一緒でした)

 

***

末期

7/9。起床した私のあとを追いかけてきたましろにチャオチュールをあげたら、ふらふらっと転んで痙攣を起こした。両手両足が揃ったまま、ものすごい痙攣でした。以前愛犬を亡くしたときにも痙攣は見ていたので、比較的落ち着いて見守ることができたと思いますが、やはりショックでした。聞いた話によると、痙攣中は意識がなくて、痛みなども感じていないらしい。それでも、痙攣を起こしている我が子をなすすべもなく眺めるのはかなりきつい。

痙攣が終わると、ましろは自分でも何があったのかわからないような様子で慌てて立ち上がろうとしたんだけれどうまくいかず再び転倒。また痙攣した。その日を境に、もう自分で歩くことはできなくなってしまいました。

せっかく買ったのに、一度も使ってくれなかったふわふわの猫ベッド。横たえると、ぴったりだし気持ち良さそうでした。いい感じ。使ってくれたらよかったのに。ね。

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(これは元からお気に入りだったベッドで通称キテレツベッド笑)

目はうっすら開いているけれど、目はもう合わない。ほとんどの時間ぼーーーっと横たわっているけれど、時折自分の足を抱え込むようにして前頭部を押し付け、「にゃああ・・・・!」と悲痛な声をあげていました。ときにはすごい勢いでごろんと一回転することも。脳内に違和感があるのか、割れるように痛いのか、とにかくわからない。でも私の手が近くにあるときは私の手に必死でしがみつきながら悶えるものだから、つらかったです。

「痛いの?かわいそうに」

早く楽にしてあげたいとはじめて思った。

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7/11。どうしてもこの日に(自分の)健康診断に行かなくてはならなくて、非常に不安でしたが家を2hあけることに。その間は母にみてもらっていたので孤独死だけはなかったけれど、それでも絶対に看取りたいという思いがあって、健康診断中、それどころではありませんでした。健康診断とは…。

10分に一回「生きてる?」とLINEで確認。最寄駅から家に歩く4分の間、なぜか泣いてしまった。ましろは生きていたけれど、3回痙攣を起こしたとのこと。私がいないのがわかって不安になったのかななんて思ったりした。

7/12。ましろがベッドで糞尿をもらしてしまった。眠すぎて、よく覚えていないけどとにかく片付けた。次に目を覚ましたとき、なぜかましろは私の両足の太ももの間に挟まっていました。多分もだえながらごろごろと転がった果てにわたしの足の間に挟まったものと思われる。私はまたまた眠すぎてよく覚えていないのだけれどとにかくましろをひょいと持ち上げて初期位置に戻しました。ましろの珍妙な動きにはもはや意思は介在していなくて、それはちょっと壊れたおもちゃが誤動作して、それをいちいち直す作業みたいだった。

私が起きてからましろをリビングに猫ベッドごと連れていったのだけれど、ましろは呼吸が苦しいのか頭をものすごく反り返らせて犬掻きのように足をずっとばたばたさせていました。目はうつろで呼吸量はすごく少なかった。どうにもずっとばたばたしているのでなんとかできないものかと抱き上げたら、止まった。だっこしている間はおとなしくしていたので、らくなのかな?と思って、私はこの日、数時間単位でましろをおなかにのせて過ごしました。

あと鼻くそがこびりついてしまっていたので、とろうと試みました。もうほとんど意識はないんだけれど、鼻を触られるのはそれなりに嫌そうなそぶり。私はそれすら嬉しかった。ある意味ましろの最後の意思表示でした(鼻くそはちゃんと取れた)。

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22:30頃。ましろがしゃっくりのようなものをし始めた。しゃっくり…?と思ったけれどよく見ると呼吸が止まりかけている。

あ、どうしよう。もしかして、もしかする…?

私は全然わからなかったんだけれどましろの顔に自分の顔を寄せて多分ものすごい真剣な顔で眺めていたと思います。しゃっくりのようなものの感覚が、ちょっとずつ広がって、これが最後の呼吸…?と思うとまたしゃっくりする、みたいな感じで。私はただましろのことを撫でていました。

ヒッ…と呼吸をして、ましろが動かなくなった。

「ましろ、ましろ」

私がましろをゆすると、ましろはまた「ヒ、」と身じろぎして、両手両足をぐぐーーーーーーっと伸ばした。まるで寝起きの伸びみたいな感じで、苦しそうにというよりは結構リラックスした感じの、伸び。それでふーーーーーっと息をはいて、スッといなくなってしまいました。

 

魂の重さとはよく言いますが、ましろのいなくなったましろは、本当にびっくりするくらい軽かった。全ての力が抜けて、手足はふにょふにょ。本当に骨と皮だけの入れ物がそこにはあって、まるで脱皮した抜け殻みたいでした。

わたしはましろを抱き上げて、まだふわふわのましろちゃんをぎゅーっと抱きしめました。うちに来てくれてありがとう、家族になってくれてありがとう。心からそう思った。

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(ベイビーましろ)

そしてお葬式のときにかわいい状態で送り出せるよう、顔が変形しないような状態にましろを安置し、穏やかな表情に見えるように目もつむってもらいました(死後硬直の前にしないと直せなくなるということを愛犬のときに学んでいた)。

両親が見舞ってくれて、翌日のペット葬儀の予約もして、ましろと眠る最期の瞬間だというときに初めて声をあげて泣いた。死んでいるのに、ましろはなおとてつもなくかわいかった。

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看取れたし、いっぱい一緒にいられたし、遊んだし、私の中に後悔はなく、ましろもきっと幸せな猫生を送ってくれただろうと思っています。長く苦しむよりはできるだけ楽に旅立ってほしいと思っていたし、できる限りでそのような最期をサポートできたと思います。なので意外にもあまり悲しいという感情はなく。それなのに、ふとした瞬間にわーっと泣く→2分で素に戻る、というのを繰り返しているので頭か体か、どちらかがましろの死についてきていないのでしょうか?

とにかく私は、次に生まれ変わってもまたうちの子になってね、と、それだけ毎日伝えたいです。

 

そしてすごく当たり前のように水飲み機とごはん皿とトイレはそのままにしてあってこれをいつ片付ける気になるかは未知数すぎますがうちに来る人はそのへん突っ込まないでください。

 

最後まで読んでくださった方、長々とありがとうございました。

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没 平成29年7月12日 22:30頃 7歳7ヶ月

会いにいくまでまっててね

ライティング講座:最短…?インタビューざくざく構成術

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こんばんは。ライターのノリコ・ニョキニョキです。

今日は、自分がインタビュー原稿の構成を作るとき、なかなかスピーディなのではないかという仮説から、私の構成のハウツーを簡単にシェアしたいと思います。ただ、人が構成を作っているところを見たことがないので、最短かどうかはまったくわからないというのと、それみんなやってるよとか、そのやり方微妙じゃない?とかがあればそれはもう、ごめんなさい。そういう場合はそっとしておいてください。

 

まず前提として、私の書いたこれらの記事がこのようにして生まれた、というのがわかりやすいように、過去の仕事を貼っておきます。

www.wantedly.com

www.wantedly.com

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さらさらっと見ていただいた上で以下の適当な説明をご覧いただければ幸いです。

 

1.書き起こす

構成とは違いますが、何はともあれまずは書き起こしですよね。

私がインタビュー記事を書かせていただいているWantedly Journalの案件は、ディレクターのHさんが同行してくれます。そして、メインのインタビュアーは一応私なのですが、Hさんもかなり聞き手をやってくれます。

と、いうこともあって、私は現場で全部書き起こしてしまっています。タイピングが自分でも引くほど速いので、よほど早口の人でないかぎりほとんど書き取れます。もちろん録音もしていますが、確認用です。

 

2.サブタイトルをつける

家に帰って、書き起こしを見ます。そしたら、いきなりサブタイトルをつけます。たとえば、最初に話していただいたのがインタビュイーのこれまでの経歴だとしたら、

「〜〜職との出会い」

とかなんとか。この段階ではかなり適当につけます。要するに、何について話しているかあとから目次のように見れればおk。

ちなみにこの作業はインタビュー当日にやるのが一番おすすめ。会話のニュアンスや話しの流れを覚えていて「思い出す」という作業がいらないので、作業効率が段違いに良いです。

 

3.またサブタイトルをつける

読み進めて、「〜〜職との出会い」の話題じゃなくなったな〜と思ったら、次の話題にふさわしいサブタイトル(目次)をつけます。これも、考えすぎずにとりあえずつける。たとえば、「〜〜による転機」とか、「地方での営業時代」とか。

 

4.はぐれトークは森に還す

書き起こしを読んでいくと、これはちょろっと話題がはずれているな、でもあらたに目次をつけるほどでもないな、というはぐれトークに出会うことがあります。(はぐれトークが現れた!)

この子は、いるべき場所に還します。たとえば、序盤に「地方での営業時代」の話を語ってもらって、そのあと別の話題になっているのに、一瞬また営業時代の話しが出てきた…というときなどは、大胆にコピペして序盤の目次のところに入ってもらいます。このとき、つながりとかは気にしません。とりあえずは、とにかく仲間の文脈のところにもっていくだけ。

イメージとしては、色鉛筆を整理する感じ。順番がぐちゃぐちゃの色鉛筆が目の前にあって、きれいに並べ替えてくださいと言われたら、とりあえず同系色のものをまとめて、その中でまた順番を精査しようとすると思います。

そんな感じで、まずは仲間の話題を集める。

 

5.目次は恐れずにつけていく

そのようにやっていくと、これは新しい目次をつけるほどではないかな…?とか、これはどの話題に近いだろう…?と混乱してくることがあると思います。しかし、この段階でそんなこと考えなくて大丈夫。とにかく迷ったら目次増やしましょう。増やした方が、分類も楽です。

 

6.目次をつけ終わったらM&A

なぜいちいちわかりにくいたとえを出すのかという感じですみませんが、目次をつけ終わったら、全体を見て分量バランスで統廃合をおこないます。

目次つけたはいいものの、ここは話し薄いからこっちの話題にくっつけようとか、逆にここは重たいから目次増やそうとかちょっと分量調節をおこなっていきます。それから、より内容を的確に表せるサブタイトルはないか、ここで少し見直したりします。

 

7.思い切ってシャッフル

先ほどの色鉛筆の流れですが、目次によって話題のブロックが出来上がったら、今度はそれをブロックごとに移動します。

もし、めちゃインタビューがきれいな流れで進んで、そのままの流れで読み物として成立するのであればこんなことはしなくてもいいのですが、インタビューというのは普通その場の流れで話題が前後しています。

たとえば、アイスブレイクで何かが盛り上がって、そのまま「今挑戦してみたい事業はなにか」という話題になったとします。インタビューのときはこれが最初の話題だったかもしれませんが、読み手的にこれが一番最初にきていたら、ちょっと読みにくいかもしれない(書き方にもよるけど)。

 

8.シャッフル(つまり構成)に使える小技

1) 私の定石なのですが、今の話題、過去の話題(挫折を乗り越えたか?とか、入社直後と今で仕事観は変わったか?とか)、未来の話題(これからやってみたいこと、業界の将来について思うところなど)という流れにするのが好きです。

ある意味無難ですが、その人のバックグラウンドをひとしきりわかった上で、今後のビジョンを読める構成にすることで、やはり親近感を持ってもらえると思うので。

2) ほかにも、Wantedly Journalではパーフェクト人間ではなくある意味等身大の人間くささのようなものを出す原稿が好まれるので(と言ってもインタビュイーのみなさんは本当にすばらしい方ばかりですが)、前編では仕事のことをかっちりとまとめて、後編で一気にインタビュイーの素の表情をクローズアップしたりしてギャップを作るのもよくやります。

 

9.あとは頑張る

ここまで終わるとですね、土台ができたなあという感じ。ラフですね。あたりがついた感じ。1時間の書き起こしだとすると、ここまでを20分くらいでやります。

あとはパーツごと(目次ごと)に工事していきます。ここからはまあ大変ですよ・・・でもやっぱりインタビューは楽しいです。新しい考えや文化に触れることができて…日頃浮世離れした生活をしている自分からすると、いろいろと衝撃も多い。

こんな機会をくださっているHさんには感謝しかありません。

 

 

綺麗にオチがついたところで、さようなら。

こんな夢を見ました

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あちこちで触れ回っているので身近な人は既知のことでしょうが、愛ネコの末期ガンが発覚しました。

実は幼少期に予防接種で動物病院へ行ったとき、あまりにパニックをおこして診察室でうんこを撒き散らしたのがお互いにトラウマで、

「病気になったらそのときは仕方ない」

と割り切ってそれ以降一度も健康診断に連れて行ったことはありませんでした。

 

といっても、ましろ(猫)さまの血液検査は、末期ガンにも関わらずクリーンなもので、麻酔をして毛剃りをしてエコー検査をしてようやくわかったガンですから、いずれにせよ健康診断で見つかることはなかったでしょう(というのがせめてもの救い)。

 

ましろがごはんを食べないことに気づいたのは、3月20日のことです。21日は結構な雨だったので、22日に気だるそうなましろを連れて動物病院に行きました。

キャリーバッグを死ぬほどいやがるので、レスポの大きなバッグにましろの好きなクッションを入れて、ましろを入れました。ましろにとっては5年以上ぶりの病院です。でも、すでに元気がなく、目をしょぼしょぼさせて私のことを見つめるのみ。

さすがに診察室に入ってからはそれなりに威嚇をしましたが(それすら嬉しい)、とても元気な頃のましろからは想像もつかない気弱な姿を見せつけられました。

 

22日は、「一時的な食欲不振かもしれないから、もう少し様子を見ましょう」と言われて終わりました。私もそれもそうだなと思い(というのもやはりエコーをするには麻酔が必要で、多少のリスクがあるため)、その日は連れ帰りました。ウェットフードを与えたところ、勢いよく食べたので安心したという節もあります。

 

しかしそのあとどんどん食べなくなり、3月27日に再び病院へ。エコー検査をしたところ膵臓の近くに2cm×2cmの影が見えると言われました。これは腫瘍か、もしくはFIPと呼ばれる猫腹膜炎による肉芽腫かもしれない。腫瘍の場合は、場合によっては取ったり抗がん剤治療という選択肢もあるが、FIPの場合は非常に予後が悪い(つまり近日中に死ぬ)と言われ、なにはともあれ腹水を検査にまわすことに。(ちなみに、腹水というのはそもそも病気じゃないと出ない)

 

結局FIPは陰性で、光明が見えてきました。ただ、地元の動物病院ではこれ以上の検査はできないといわれ、川崎の「日本動物高度医療センター」を紹介されました。そこで本格的に検査をし、何か打つ手があるのか、もしくはないのか、あるとしたらその治療をどのように進めるか、ついにわかるというのです。

 

私がヤバイ夢を見たのはその夜のことです。

うまく説明できるかわかりませんが、ちょっと説明してみます。

夢に出て来るのは、ど田舎です。といっても古くさびれた雰囲気ではなく、どちらかというとハイジ的なさわやかさを感じる場所。見通しの良い大草原があって、集落的なところにはスラム街があったり、夢には出てきてませんが一般的なエリアもあったと思います。このへんはちょっと、日頃ゲームしまくっているのでちょっとファンタジーかもしれません。

 

そして、2人の主人公が出てきます。男女ひとりずつ。

女性の方は、一言で言うと、映画『新宿スワン』に出てくる沢尻エリカさんの役。夢の中で名前が語られることはありませんでしたが、説明の便宜上エリカと呼びます。その人はすごく美人で儚くて、諸事情(その事情は知らないが)で体を売っています。彼女を世話しているとも言えるし、酷使して利用しているとも言える男性がおり、エリカはその人の言いなりです。騙されているのではなく、すべてわかったうえで、逃げられないのです。まさに新宿スワン状態。

 

男性の方は(前述の男とはまったく別)、自閉症もしくは知的障害を持つ男性で、おおよそ21歳くらいに見えました。太っちょで、どんくさく、でも純粋です。ここではBちゃんと呼びます(「くん」というより「ちゃん」と呼びたくなる人柄)。

Bちゃんもやはり、ある男性に利用されており、その人は雇い主なのですが、Bちゃんに判断能力がないことをいいことに、非常に低賃金であったり、ほかにもさまざまな悪条件かでBちゃんを酷使しています。けれどBちゃんにはそれすらもわからず、その男性を慕っているのです。

 

ちなみに私とエリカ、私とBちゃんの関係性については夢の中では特に判断できなかったのですが、さほど親しいわけでもなく、だけど村社会なのでお互いの存在は認識しているという感じでした。あえて端的に言うなら、ご近所さんという感じでしょうか。

 

で、エリカはそんな生活をしているので神出鬼没なのですが、ある日ふらっとわたしの前に姿をあらわし、しかもぞっとするほど上機嫌で(多分薬キメてる)、「今日はうちに遊びにきてよ」と言います。

いや、家はやばいだろ(男いるだろうし…)…と思うのですが、偏見はよくないかなみたいな謎の発想でついていくことに。ところがどっこい、家に行ってみると、その男が死んでいるではないですか。

殺されているのですが、殺したのはエリカではありません(現実であれば、なぜわかる?となりますが、夢の中では設定は設定)。エリカも死んだ彼の姿を見て完全に放心しています。信じられないという感じで、薬も一気に醒めましたって感じ。

私はそれまでエリカのおかれた状態に対してまったく当事者意識を持っていなかったにもかかわらず、そんな状況に遭遇し、とっさにこう言うのです。

「逃げよう」

と。

 

前後関係は不明ですが(なんなら同時進行かも)、ぶうちゃんの雇い主が度重なる悪事で逮捕されます。その世界における警察はアウトロー中のアウトローで、その雇い主をめちゃくちゃに拷問します。どういう拷問かというと、機械に左右の足を別々にくくりつけ、左右に引き裂くというもの。しかもそれが録画されているんですね。

…というのを私もぶうちゃんも知らなかったのですが、わたしがぶうちゃんの近くにいるとき、そこになぜかモニターがあって(ブラウン管みたいなやつ)、スイッチがあって押したら、その拷問映像が流れてきました。雇い主が引き裂かれる様子を見て、ぶうちゃんが「どうしようどうしよう!?」とパニックを起こします。私は「こんなもん、みるもんじゃないよ」とスイッチを切り(どんだけクールなんだ)、思い立ったようにこう言うのです。

「逃げよう」

と。

 

かくしてエリカとぶうちゃんを連れて村から逃げ出すことになった私は、草原の真ん中にぽつんと立つ駅に向かって走ります。それは単線列車で、くる電車は一両編成。何に追われているのかわからないけれど、急がなきゃという気持ちが胸に迫ります。

 

駅に近づくと、ぶうちゃんの母親がホームに立っているのが見えました。そして近づいて来る電車。それを見て、「あの人飛び込むんだ」とわかりました。私はとっさに、でも強く「見たくない!!!!」と思い、くるりと後ろを振り向き、念のため目を手でおおいました。そして、音も聞きたくなかったので、ありったけの声で「いやーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」と叫んだのです。そのかいあって、何も見なかったし、なにも聞こえなかったのですが、後頭部に粉々になった脂肪片がくっつくのを感じました。目をあけると、目の前に立ち尽くした(後ろを向かなかった)エリカとぶうちゃんの顔には、肉片が飛び散っています。

わたしはおそるおそる駅の方を向きました。すると、駅周辺には臓器が飛び散っています。しかもその臓器はなぜかかわいくデフォルメされていて、中にはFF14に出てくるオルちゃんも…笑

ちなみにオルちゃんはこちら。

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(©️︎スクウェアエニックス

オルちゃんはタコであって臓器ではないですけどね。

で、いつ現れたのかは不明ですが、気づくと横には飛び降りた女性の母親(ぶうちゃんの祖母…?)が立っていて、今目にしたものが信じられず、現実を受け入れられず、「あらまあ、あらまあ、大変…」と言いながら臓器を拾い集め始めます。

私はゆっくりとエリカとぶうちゃんの方を振り返って、「…とりあえずシャワーあびよっか」と言ったところで、まるでさっきから起きていたかのように起きました。

 

 

…なんの前触れもなくグロくてすいませんでした。私個人の話で言うと、グロテスクな夢を見たのはこの日がはじめてでした。この夢はいろいろ自分の心理状態を反映していると思っていて、たとえば

・エリカとぶうちゃんは社会的弱者→ましろに重なる(自分で病院に行ったりできないし私がなにもしなければなにもできない)

・他人事だったふたりの人生が、「たまたま居合わせた」という理由だけで突如自分の人生とからまる→ひとごとだった闘病生活が突如自分の人生に降って来る

・飛び降りた女性の死から目をそらした→ましろに訪れる死から目をそらしたいという願望の現れ

・逆に女性の死を目の当たりにした“母親”の気がふれて、とんちんかんなことをし始める→かなりうちの母に似ていて、ましろが点滴で一時的に元気を取り戻しごはんを食べ始めたとき母は「すっかり元気になっちゃった!がんは何かの間違いだったんじゃない?このまま元気になっちゃうんじゃない?」と言い出した。逃避は一種の防衛本能だと思うけど、正直げんなりした

 

不思議なのは、なぜ主人公はひとりではなく、ふたりだったのか、しかもいい感じに設定のばらけた男女なのかというところ。もしかしたら膠原病と戦っている母の存在もやはり自分の中で大きく、母もましろも助けたいという深層心理があらわれたのかもしれません。(ちなみに母は先日検査の結果がとても悪く、次の検査でも数値が悪かったら再入院と言われています)

 

 

ちょっと尻切れとんぼかもしれませんが、書きたい部分は書き切れたのでこのへんで終えます(疲れました)。

ちょっと残しておきたい内容だったので、書けてよかったです。やっぱり書くのは好きかもね。では、長々と失礼いたしました。

今、18歳のときの自分に伝えたいこと

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28歳を目前にして思うのだが、後から振り返ると人の“旬”は短い。

そもそも旬とはなんぞやという話になってくると思うが、とりあえず私はもし過去の自分に会えるのならこう言いたい。

 

「何もかも今やれ」

 

と。

 

ある程度自分の意志で動けて、未分化で、そして何より時間がある。

 

暇だと言っているわけではない。実際、社会人は会社に行けばいいだけなのに対して、学生はあれやこれやと手を出したりするからある意味では社会人より忙しいことも往々にしてある。

 

だけど、自分でスケジューリングできる忙しさと、そもそも定時というものに縛られている忙しさは融通の効き方がまったく違う。会社員は忙しいのではなく時間を拘束されているのだ。

 

やる気の問題ではどうにもならない。どんなに頑張っても週に50時間は拘束される。

 

そんな単純なことが、わたしはどういうわけかまったくわかっていなかった。事実としてわかっていても、全然理解していなかった。

 

一度働き始めたら、もう立ち止まることはできない。いたずらに歩みを止めようものなら、電気やガスも止まる。「挑戦できるけど挑戦しない」のではなく「挑戦したくても挑戦できない(もしくは異常なまでのリスクを伴う)」という状態になる。

 

 

言わせてもらうけど、社会には

「手遅れなんて言葉はない」

とか

「何歳になっても挑戦できる」

とかむやみやたらにポジティブな触れ込みが多すぎる。

それはある意味ではその通りだけど、そうじゃないことも多い。というかそうじゃないことの方が実際は多い。

「何歳になってもリスクをとれば挑戦すること自体はできる」の方が正確だろう。

 

 

だからさ、ね。

いつか何か人生のテーマに出会えるかも、とか言っている場合ではなかったんだ。

もし何かできるとしたら、何かを成せるとしたら、学生の4年間が最初で最後で最高のチャンスだった。

そう、あの時わたしは旬だったはずだった。

 

 

私はどちらかというとアクティブな学生だったと思う。ダブルスクールしたりインターンしたりTOEIC900取ったりした。

でも今思えば、すべて表面をなでているような生ぬるさだったと思う。

もっと泥に手を突っ込んでかき混ぜたりまさぐったりすればよかった。

こぎれいな学生生活を送ってしまった。必死さがなかった。

 

 

私は最初で最後で最後のチャンスをうまく使えなかったと思う。

就職に失敗したのも(そもそも就職を試みたこと自体が)自分をわかっていなかった、理解できていなかったからだし。

 

 

もちろんその失敗あっての今だと思うし、今何か取り返しのつかない状況になっているわけではないけれど、それでももうあの資源(自由自在に使える4年間)を手に入れることはないのだと思うと多少の悔恨が残る。

 

 

…でも、18の自分にこんな説教たれたら、「うるせえ、おめーよりよっぽど行動してるんだよ」と言われそう。そしたら「言えてる」って言うほかないな

前略 私はネガティブではありません。

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よく、「世間に対して鬱憤が溜まっているんだね」と言われますが違うんです。ただ議論好きなだけなんです。許してください。

 

今日言いたいのは、私は厭世的ではあるけれども、ネガティブじゃないんですという話。

 

本来の厭世的の意味とはちょっと離れるかもしれませんが、ここでいう私の「厭世的」とはどういう状態かというと、私の場合はとにかく生きることへのモチベーションが信じられないくらい低く、生きてても死んでてもいいや、くらいの冷めた考え方をしてしまう状態です。

 

思うに、うつ病ともちょっと違うようです。悲しい感情を伴っているというより、単純に興味の対象に「人生」が入っていないという感じ。

 

私がポロっと「なんにもしたくないし、なんにも楽しくない」と言うと、「疲れてるんだよ。旅行にでも行ったら?」と言ってくださる方が多いのですが、そうじゃなくて本当に旅行も遊びも含めてなんにも楽しくないんです。

 

とまあそんなスタンスでいると、「ネガティブだね」「悲観的だね」と言われる頻度はかなり高くなります。もしくは「そんな悲しいこと言わないでよ」と言ってくれる人もいます。しかし、考えてみてください。

 

たとえばさほど興味ないドラマがあったとして、続編をやるかやらないかという話になったときに、すごくどっちでもよくないですか?

 

興味ないものは興味ないんだから、興味出せと言われても無理な話。そもそも興味出せと迫る必要性もないかと思います。

 

食べ物の好き嫌いにも似ていると思います。私はレバーがどうしても食べれないのですが、どんなにそのおいしさを説かれても食べられないものは食べられません。

 

「こんなおいしいもの食べれないなんてかわいそう」と言われても食べられないものは食べられません。

 

もっと人生楽しみなよと言われても楽しめないものは楽しめません。それをネガティブと表現するのはやはりしっくり来ないと思います。

 

 

仮に、もし私が「私は人生が楽しくないから、生まれてきた意味がない」とか「私は人生が楽しくないから、楽しんでいる人にばかにされている」とか言ったらそれはネガティブかもしれません。現実以上に、悲観していることになるので。

 

でも私は「私は人生が楽しくないが、死ぬほどではないかな」と思っているので、むしろポジティブとすら言える可能性もあります

 

 

一方で、この思考をなんとかしたいと思っているのも事実です。

なぜなら、「興味のないドラマ」であれば見なければいいだけ、「レバー」であれば食べなければいいだけなのに対し、人生は強制参加だからです。

 

家事が嫌いなのに主婦やるのってつらいじゃないですか。どうせだったら家事洗濯炊事を好きになれれば、毎日の生活も少しは気が楽なものになるはず。

 

人生が楽しくないのに人生をまっとうしないといけないって、やっぱりそれなりにつらいものがあるんですよね。

 

 

しかし。ここにも私はまた活路を見出したんですよ。

なんと!自分の人生が楽しくなくても、他者の人生を楽しむことができることに気がついたのです。

他者というのは、わかりやすい例で言えば恋人ですが。

 

家事嫌いな主婦でも、旦那や子供の喜ぶ顔が見たいというモチベーションがあれば、家事もなんとかなったりすると思います。

それと同じ原理で、人生が楽しくない私でも、他者を触媒にすれば、何かを頑張ろうという気が起こせることがあるのです。

 

 

書いてて思いましたけど、私やっぱりめっちゃポジティブですね。

結論、私はネガティブどころかポジティブ。

 

 

いつにも増してまとまりがない内容になってしまいましたが、まあ誰が読んでるかもわからないブログだし良いよね。

ちなみに、今日の画像のタイトルは「おとなしく抱かれる猫」です。“人生という荒波の中で自己問答しているうちに一時的に悟り顔になった私”のメタファーとして採択しました。

 

それではまたね!

前から思ってたけど毒舌と悪口って違わない?

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こんにちは。

記憶のある限りかなり長い間「毒舌だね」と言われながら生きてきました。

しかし私は自身が毒舌であるという自覚を一切抱いていませんでした。むしろ「裏表ない正直者」くらいの自覚で生きてきました。

 

いつ頃からかと言われると定かではありませんが、おそらく25を超えたあたりか、それすなわち社会人になった頃に、ようやく

「毒舌は社会で歓迎されない」

ということに気づき、オブラートに包むということを覚えました。

 

しかし繰り返し言いたい。

毒舌な人を一概に怖い人と思わないでいただきたい。毒舌と悪口って普通に考えて全然ちがくないか!?

毒舌を自称している私が言ってもなんの説得力もないというか言い訳にしか聞こえないというかその通りなのですが、それでも今回はまことに僭越ながら、この話をもう少し具体的にご説明差し上げたく…

 

 

私が思うに、毒舌な人というのは、ただ単に「単刀直入なだけ」という場合が多いと思います。

たとえば…

 

 

「Aさんは話し方がばかっぽい」

 

と言ったら、どう聞こえますか。毒舌だなと思いますか。確かに…毒舌です…。

中にはこれを聞いたら、「この人はAさんをばかにしている」と思う方もいらっしゃるでしょう。

 

でも考えてみてください。

「話し方がばかっぽい」というのは

「Aさんはばか」と言っているわけでも

「Aさんは話し方がばかっぽいから嫌い」と言っているわけでもないと思いませんか!

 

オブラートに包むよう試みるとこんな感じになるでしょうか・・?

「Aさんは滑舌がどちらかというと悪いから、話し方に特徴があるんだよね」

「Aさんは舌ったらずっぽい話し方がかわいい!」

「Aさんは思いついたことを矢継ぎ早に話すからほんとその場が賑やかになる!」

 

逆に悪意を感じるのはわたしだけでしょうか。。。

もっと上手に包める人に例文を伺いたいくらいだ!

 

こうなってくると、そもそも「Aさんの話し方がばかっぽい」という情報を伝える必要はない!となってくると思いますが、もし本当に本当にまじで必要ないのならそれでいいのですが、もし

 

「話し方に特徴があるなと思ったけれど、それを伝えようとするとどうしても角が立つので、結局黙っていた」

 

ということなのであれば「角が立ちそうなことは全部黙っておこう」ということなかれ主義にすぎず、それはそれで支持したい考え方ですが、人類全員にそれを強要するのはちょっと違うかなという感じもして。

 

とにかく、「Aさんの話し方」を端的に伝えようとしたときに、「ばかっぽい」という形容句がもっとも伝えやすかったというだけでそこに悪意はまったくないんです。

 

私が思う悪口っていうのはこんな感じですよ。

「Aさんはくさい」

「Aさんはハゲ」

私の基準では、「主観が入らず客観的要素を指摘したら悪口」に聞こえます。

 

「Aさんはバカ」

のように主観が入る場合は、文脈次第ですね。

よく彼氏が彼女のこと「あいつまじでばかだからさー」なんて言っているのを聞きますが、普通にノロケなので。

 

 

しかしこんな私にも学びがあって、「5割以上の人が誤解を抱きそうであれば言わない」「なるべくクッションのフレーズを入れる」といった対策を取るようになってきました。

悪口のつもりなくても悪口に聞こえてしまったら、最終的に損するのは自分だということに加齢とともに学んでいくわけですね。

 

 

あと愚痴と悪口も一応違いますよね。

愚痴は、その人が好きだから、もしくは関心があるから生まれるものであって、必ずしも悪口でないことも多いと思います。(それこそ恋人の愚痴とか)

 

ちなみに、私にはマチコという親しい友人がいるのですが、別の友人Cに

「マチコはほんとにおっちょこちょいだから〜〜(エピソード)」

と愚痴っていたら

「あんなに仲良いのにこんな悪口言うなんて、こわ〜い!」

と言われたことがありまして。

 

えっ!確かにマチコの「愚痴」を話していたけど全然「悪口」のつもりなかった!

と心底びっくりしまして。

 

それをマチコに伝えたところ

 

「それはそうだよ。私は、ノリコの良いところは誰にでも言うけど、ノリコの愚痴はノリコより親しい人にしか言わない。つまり妹にしか言わない。

だって、私はノリコのことを知り尽くした上でノリコの愚痴を言えるけど、聴き手にはその前提がない。ノリコのことを知らない人にノリコの愚痴を言ったら、誤解される恐れがある。私はノリコのことを少しでも誤解されたくない」

と…

 

私は本当に目から鱗でした。

割とでかい声で「思慮ぶかっ!思慮ぶかっ!!」と2回叫びました。

心底マチコを尊敬した瞬間でしたね。

 

 

とにかくこんな紆余曲折を経て私は日々「コミュニケーションとはなにか」ということを考えてきたのです。良い友人に助けられながらも、少しは仁義ある道を歩けていると良いのですが。

私の研究は続く…

 

 

ではまた!

猫好きが狂人じみているワケ

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こんにちは。

憧れの銀山温泉にとうとう行ってしまいました。

かれこれ6年くらいずっと行きたいと思っていたので、かえって行くのが怖かったです。

行ってみたところ…まあ、この話はおいおいしましょう。

 

今日は、猫好きの人の多くが「猫好き」という域をこえてしまっているのではないか? という議題について話したいと思います。

 

ここから先は、個人の主観と偏見に基づく無責任な記述が続きますが悪しからず。

 

私のイメージですが、犬好きと猫好きにはこういう隔たりがあります。

 

 

犬好き{犬大好き!優しくて、忠誠心があって、相棒みたいな存在!

猫好き{猫…いえ、おねこさまは美しくて気高くて賢くて至高なんgjそがwhb、あjげlぶわg…お世話させていただいていることが奇跡のようなんどぁgは;wがjうぇb(裏声)

 

 

私は自身が8歳のとき犬を、20歳のときに猫を飼い始め、24歳のときに犬を亡くしました。(猫は健在)

都心に住んでいることもあって、意外と、両方飼っている人はまわりに多くありません。いたとしても、物心ついたときにはいたとか、両親が元々飼っていたというケースばかりで、私のように時間差でそれぞれと向き合う時間があった、という飼い方の人にはまだ出会ったことがありません。

 

 

そこで、犬と過ごす生活と、猫と過ごす生活、それぞれをそれなりの年月経験した私から、猫好きの人がどうして少々常軌を逸した様相になってしまうのかを分析・解説させていただきたく存じます。

 

(繰り返しになりますが話しは全てほぼ私の主観によるものです)

 

 

猫と犬の違い

1.猫は自分で考える

まず前提として、私のネット調べによると、猫と犬の知能指数は僅差ですが犬の方が高いそうです。基本的には、犬の方が賢い。そう考えても良さそうです。

が、

そういう問題ではなく。

なんというのか…犬は割と素直なのである意味ちょっとバカっぽいんですね(良い意味です)。それに対し、猫は駆け引きをしている(ように見える)側面があります。

もともと、犬はリーダーを作ってピラミッド型の社会を作るのに対し、猫は単独で行動する習性があります。しつけが犬にしか入らないのもこのため。猫は飼い主を「リーダー」として認識していないので、命令に従うかどうか自分で考えることができます。

つまりですね…より人間的なんですよね。

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考えてみてください。多くの女性は、YESマンの男性よりも、気まぐれで掴み所のない男性に夢中になってしまう人が多いと思いませんか?

ギャンブルと同じで(同じか?)、不確定要素が多い対象にはついつい魅了されてしまうのが本能というもの。

あるときはなつっこくすり寄ってきてくれたのに、あるときはツレないそぶりでどこかへ行ってしまう…そんな猫の毒に気づけば冒されているのです。

 

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2.猫は表情で語る

「犬だってそうだよ!」という声が聞こえてきそうです。

確かに。犬にも表情はあります。私の飼っていたルナも、嬉しそうな表情、気持ち良さそうな表情、悲しげな表情、嫌がっている表情、いろいろな表情を見せてくれました。

しかしそれはあくまで、なにか出来事があって、それに対する反応としての表情だったように思います。

ボール遊びをしていて→嬉しそうな表情

公園で爽やかな風をあびて→気持ち良さそうな表情

シャンプーをされながら→嫌そうな表情

こんな感じですね。

一方で猫は、何かの出来事を起こすために、表情で語ることがあります。

基本的にはこんな顔物言いたげな顔ですが…

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「えっ…な、なに…?」とちょっとたじろいでしまうような、威圧的な表情で、

威圧的な表情A→ごはんがほしい

威圧的な表情B→シャカシャカブンブンしてほしい

威圧的な表情C→不定愁訴

といった感じに何らかの行動を促されることが多いです。なので、犬の場合は「犬を従えている」という構造になるのに対し、猫の場合は「猫に従っている」という図式ができあがってしまう、と…。気づかぬ間にしもべと化しまして、その後は…言わなくてもわかりますね。

 

そして、余談にはなりますが猫はあまり「嬉しそうな表情」はしないですね。犬のように、パッとひまわりでも咲きそうな表情はしないです。じゃあどんな表情が多いかというと「物憂げな表情」や「何人か殺ってそうな表情」ですね。

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あとこちらは例外ですが「え私たちって恋人同士…だっけ…?と錯覚してしまいそうな表情」です。

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表情のバリエーションが多いというか、喜怒哀楽から離れた複雑な表情をするなという印象です。思わず、「何を考えているんだろう…」と考えさせられてしまうというか、想像の余地を残すような表情をする点も、ちょっと高尚な存在に思えてくる理由かもしれません。

※ただし、多分何も考えていない。

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まあこんな感じですね。

つまり、猫飼いは上記の2つの理由によって知らぬ間にマゾっ気を刺激された結果、猫の信奉者となってしまい、それがエスカレートすると狂人めいてきてしまう…と。

 

なんというか、猫LOVERはちょっとヒステリックで、犬LOVERの方が健全なイメージですね。(完全に偏見ですけど)

 

それぞれ魅力がありますので、どっちの方がかわいいとか好きとかあまり考えたことはありませんが、並列で語られることが多いわりにはあまりに異質な存在だよなあと思いますね。

 

そういえばですね、海外のジョークにこんなものがあります。

 

犬「彼らは餌をくれて、撫でて愛してくれる。
  彼らは神に違いない」

猫「彼らは餌をくれて、撫でて愛してくれる。
  私は神に違いない」

 

なかなか言いえて妙という感じで個人的には好きです。あ、ましろさまの肉球マッサージのお時間になったので行かなくては。さよなら!!