それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

暴力で解決するなら、そうしたい。

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努力することよりも諦めることのほうがよほどつらい。

 

ある知り合いが(と書くと、本当は本人のことだろうと思われそうだがこの場合本当に、とある知り合いの話である)、意中の女性といい感じになったにも関わらず最終的に手に入らなかったときに

 

「あなたに好かれるように努力するから、頑張らせてほしい」

 

と申し出ていた。女性側からは「そういうところが怖い」と一刀両断だったわけだが、うーんなんというか、気持ちわかる!!

もう手に入らないという現実を受け入れるよりも、頑張ったらなんとかなるかもしれないという希望にしがみついている方が、一時的に見れば精神的にずっとらくなのだ。

 

けれども本当の苦しみはそのあとだ。

初めはポジティブに頑張る。頑張ればあの子が振り向いてくれるかもしれないと思って研鑽する。けれどSNSに流れてくるのは、自分がいなくても楽しそうな彼女の様子だ。

 

ふとした瞬間に思う。

「このままだめなのかもしれない、どうにもならないのかもしれない」。

じわりじわりと染み出してくる絶望が、気づけば足元をひたひたに濡らしている。

 

お金で愛が買えたら、どんなに楽か。頭を下げて思い通りにできたら、どれだけ楽か。正直、暴力で解決するなら、そうしたい。

 

けれども、決してそうはならない。人の気持ちは人のもの。ありのままで誰にも侵せない。

 

だから執着を最初に手放した方がいい。

諦めるのは怖いけれど、最初からそうした方がいいと私は思う。

コンプレックスイッチを押すなかれ

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起きた瞬間に、ふと思い至ったことがあるのでメモ。

 

最近某企画への応募のためにコンプレックスをテーマにしたコラムを書いたのだが

未公開なのではしょるが私は過去に「自分がブスであったためにした嫌な経験」があって、それが軽くトラウマ化している。

 

ブスと言っても、ありふれたレベルのブスだ。

可愛い子と、その他大勢の、大勢の方。

だけど「ありふれたレベル」だからこそ、気軽にその部分をいじられがちなのである。

 

いまだに忘れられないが、何年か前、当時書かせていただいていた媒体で、ニコ動の番組が始まった。

 

前の晩に、その頃の恋人と一悶着あって、傷心のまま眠った翌朝に着信音で目が覚めた。出ると編集長からで、番組にゲスト出演しないかというオファーだった。

 

「顔は“普通”なんだけどなぜか男が絶えない女代表として出てくれない?(笑)」

 

 

え・・・・・・そ、それってどういう・・・・・・

 

ぶすとまでは言われてないけど、実際に放送された番組タイトルはこれだ。

ブスなのにモテ続ける?勢力拡大中の「クセブス」とは

 

 

おいっ!笑

 

ちなみに出演は遠慮したので、出演したのは他のライターさん。配信を見ていないので、その子がどういう心持ちで出たのかは知らない。

 

 

こういうカジュアルな感じのいじりであれば、ノリよく笑いに変えていける人材というのは実際に存在する。こういった番組や、飲み会などの席では神がかった立ち回りができる人材だ。

 

だけどそういう人たちの根本には、少なくともそこに関する決定的なコンプレックス意識がないし、もしくは仮にあったとしてもそれをなんとか昇華しようという涙ぐましい精神努力のうえでできていることだと思う。

 

12年間の女子校生活の末入学した大学で、早々にクラスメイトから「ブスは黙れ」と言われたとか、合コンの席で自分だけ翌日の連絡が一件もこないとか、相席居酒屋で着席するなり「チェンジ」と言われたとか、それを笑いにできたらいいのはほんとにわかるけど、できないのである。

 

というか、これらは一応持ちネタとしてそれらしきタイミングにお披露目することがあるにはあるが、せいぜいちょいウケくらいで爆笑が起きたことはない。テレビの向こうのお笑い番組ならともかく、近しい人のリアルな自虐ってさほど笑えない。というかお笑い番組ですら、個人的には、いじりが過剰に感じて笑えないことが多い。コントや漫才ならおもしろいものたくさんあるけれど。

 

話がそれたけれど、要するに、私を含め、自分のコンプレックスを笑いに変えられないタイプの人間は少なくないと思う。

先日の童貞いじり炎上とかまさにそれで、いじってる方は「むしろいいじゃん童貞」「全然悪い意味で言ってない!」みたいな理論があったとしても、いじられる側は真顔っていう。そして「ノリ悪っ!」て言われるていう。

もしかしたら私のクセブス案件も、言うて決定的なブスとまでは思っていないからこそ、出演を持ちかけてくださったという捉え方もできる。でもこっちはまっすぐに傷つくっていうことは往々にしてある。

 

コンプレックスに蓋をせず、己の影に光を当てて笑いに昇華していける人たちのことを、強いなあと思うし、すばらしいなあと思うけれども、特段そうなりたいとも、そうあるべきとも思わない。どっちでもいいと思う。だから私はこれからも蓋をして、なかったこととして生きていく所存。

 

人のコンプレックスイッチ、どこにあるかわからないので、自分も気をつけよう。

 

 

 

※念のため補足すると編集長はすごくいい方で関係性もよかったと思うのですがこの件についてのみ折り合いが悪かったという感じです。

書を捨て、孤独を埋める旅へ

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人間というのは、物理的に人に囲まれていても、どうしようもなく孤独になれることがある。

 

改めていうまでもないが、心の繋がりは何よりも大切だ。

 

幸せは、給与や立場が決めるものではなく、心が満ちているかどうかが決める。空っぽのままでは、何をしていてもずっと虚無。そう、虚無虚無プリンである。

 

**

 

よし、行こう。ここで手に入らなかった何かを探しに。

 

ということで2018年にむけて掲げた「生き方の指針」から「旅に出る」件について今月はどこに行こうかなあと。

 

↓参考:2018年の指針

 

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今回に関しては車移動の可能性を排除して比較的都市部に行くこととする。一泊で行くことを考えて移動時間は4時間に収まるとよいと思う。

また、ソロで行ったことのある大阪、京都、名古屋、福岡、沖縄を排除する。

そこで候補は以下

・仙台

・金沢(ちょっと行きにくい)

・神戸

草津

 

街に行きたいけどちょっと、温泉も捨てがたい。ただ温泉だとひとりで泊まれるところ少ないから考えもの。airbnbのあるエリアがいいなあとおもふ。

 

日程は20,21かな〜録音も終わってるし。

 

なぜこんなことを書くかというといざ日付が近づいて「めんどくさ」とならないように。

 

足元を見れば誰が作ったのか知らない道がどこまでも続いているし、あたりを見渡せば色とりどりのネオンが瞬き人々の営みを知らせている。

 

名前も知らない大きな大きな人の作った世界がこの先もこの先ももっともっとあるなんて超すごいことなのだから(多少めんどくさく感じても)書を捨てて旅に出るのだ。

 

親しい人でもあんま親しくない人でも同行者随時募集。

 

 

日記はイイよ

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2001年からずっと手書きの日記を書いている。

数年単位でぽっかり空くこともあったけれど、かつて継続的に書いていて、今も継続的に書いているのだから「書いている」ということでいいと思っている。

16年にわたって継続してきたこの習慣、最近になって本当に最高の習慣だと思えるようになってきた。

自分の人生において「最高!最高!最高of最高!」といえることはこの習慣くらいだと思う。

 

何が最高って、まず第1に面白い

小学校の文集を見て笑い転げた経験というのは結構ある人も多いと思うが、あれを毎日一人でできる。

小学校から書いているので内容が低レベルすぎてかえって高次元な域にいっており、単純にケラケラ笑える

 

20歳前後のころはいとやばし。

あんな恋愛やこんな恋愛…

恥ずかしいをこえて、すごく興味深く読んでしまう。すごくリアルな心情が書かれているし、その1年後にこんな吹っ切れてるんだ、とか、超引きずってる、とか可視化されていてものすごいドキュメンタリーと仕上がっている笑

 

第2に、といっても全部で2つなのだが、懐かしい

至極当たり前のことだが懐かしい。そしてここが重要なのだが、日記はたったの3~5行なのに、その文字数の10倍のことを思い出すことができる。

「●●●と家でごはん、●●をふるまった」という文章だけで、その場に母もいたこと、どの料理をおかわりしてくれたか、どんな話をしたか、思い出せる。どのフライパンを使ったか、魚が安かったこと、おみやげに買ってきてくれたマカロンをきっかけにマカロン大好きになったこと。

記憶は反復で定着する。

私の日記は10年日記とか5年日記とかいって、1日につき1ページがあてがわれ、縦に2015年、2016年、2017年・・・となっている。つまり、日記を書くたびに去年や一昨年、もっと前の「今日」のできごとを読むことになる。

そのたびに、何度でも思い出す。思い出すどころか鮮やかになる。

たとえ今日がすごくつらい日でも、去年の楽しかった思い出を読んで「また頑張ろう」という気になることすらある。

逆もある。こんなつらいことがあった日だ、と何度も思い出す。でも一種のカウンセリングのようなもので、反復すればするほどトラウマとして受け取らなくなってくるという作用もあるような感じがする。

 

過去に固執する必要はないし、現実はいつも「今」にある。なのでそんなことのために日記を書かなくてもいいし、書かない楽しさもまたあると思う。でも私は寝る前のこの5分が大好きだ。布団の中でペンを走らせながら、一瞬過去を生きる。

大事なものや思い出をひとつでも多く抱えたまんま死ねたらラッキーだと思っている。

 

すごく内向的とは思うけれど。

日記はイイよ。おすすめです。

だーだのこと

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時折だーだのことを思い出す。

 

5歳のときに、旅行先でなくしただーだ。

 

だーだというのは、愛用していた小さなかけ布団である。

あまりに気に入り片時も手放さなかったために両親が旅先にも持って行ってくれたのだ。

 

それがあだとなった。

 

睡眠欲・食欲・だーだ欲くらいの勢いで重要な要素だったのに失ってしまった。

 

人生で最初にもっとも悲嘆にくれ

 

来る日も来る日もだーだを想って泣いた。

 

二度と戻らないだーだ。

 

二度と抱きしめられないだーだ。

 

あまりに悲嘆に暮れていたので、母が同情してだーだそっくりの布団を作ってくれた。

 

でもそれはだーだではなかった。

 

わたしは悲しみから逃れたい一心で、だーだレプリカを愛そうとしたのだけれど

 

これはだーだじゃない。だーだとは何かが違う。触れた感じも、抱きしめた感じも…。

 

あれは私が初めて体験した「喪失」だった。

 

だーだ自体への執着を忘れたあとも、だーだを失くしたという事実だけは何度でも身に迫ってきた。

 

永遠に失われただーだ。

 

あの日の絶望。だーだが見つからないと知らせを受ける日々。

 

 

今日ふいにだーだのことを思い出した。

 

だーだをぎゅっと抱いて眠った心地よくて幸せな日々のことを。

 

一体だーだとはなんだったのか。あのぼろぼろの布団。くさかった布団。てかそもそも「だーだ」ってなに。ひらがななのかカタカナなのかもわからねえ。

 

だーだは概念に違いない。(※実在の布団です笑)

 

絶対に離したくなくて、安心できて、心地よいもの。それがだーだ。

 

あの日失っただーだを、多分今もずっと探してる。

アフタヌーンティーについてひとつの結論を言いたい

突然ですが私は #ヌン活 と称して、さまざまなホテルのアフタヌーンティーをレビューするというサイトを超細々と、ろくすっぽアクセスもないけれどもやってきました。

 

teavoyage.net

 

見てもらうとわかるのですが非常に上から目線な内容になっており(ただし意図的なものではない)、見る人によっては不快にすら感じるレベルかもしれませんのでご注意願います。

 

しかしなぜこんなに上から目線な内容になってしまったかというと、あのですね、レベルが低いんですよ(火に油を注いでいく)

 

てかね、アフタヌーンティーがはやってるからって付け焼き刃で参戦するのやめてほしい。金額を考えてくれ金額を。その金額で出せる商品なのか本当にいまいちど考えてもらえませんか。雰囲気がそれっぽけりゃ成立していると思っている担当者、絶対ひとりやふたりじゃないだろ。

 

ヌン活を始める前のわたし(きっとお店ごとに特徴とか違ってそれぞれの魅力があるんだろうな〜それをレポートしていったら楽しいだろうな〜)

 

現実→そもそも土俵に上がっているお店が少なすぎる

 

 

あのね〜ほんとにね〜、「ランチビュッフェのデザートで出しているものを、3段皿にのせるだけでもっと高い金額で売れるじゃん〜」ていうのは結構ばかにされている気分というか、やめろ

 

いや、ランチとディナータイムの間をそういう商品で埋めることは問題ないと思うけど、だったらその金額(5500円とか)じゃないよ。スイーツ盛り合わせ的な感じでお茶一杯つけて2000円でいいじゃないですか。あーなんか腹たってきた笑

 

 

ということでヌン活って継続的にできるものじゃないなというのがこの1年間22回のヌン活を経ての結論です。リピートに耐えうるアフタヌーンティが少なすぎる。なので今回はもう私の中の結論として、金額相応のアフタヌーンティが楽しめるのはここというのをもう発表させていただきまして、今後のヌン活は幅広く研究するというよりも、もう、本当に好きなところだけ通うんだ…。

 

❶マンダリンオリエンタル/オリエンタルラウンジ

teavoyage.net

 

スイーツがいまひとつふるわないのですがセイボリー、スコーン、サービスがとてもよく、私は一番回数行っています。紅茶はカップで出てきて、飲み変えも自由。ロイヤルミルクティーとバニラロイヤルミルクティーがあってあざとい。2人以上・平日という2条件揃うと4700円くらいでとてもお得に楽しめますがこの2条件なかなか揃わないですよね。週末は1000円アップするので結構きわどくなります。1〜1.5ヶ月おきに内容がかわり、それも結構変わってくれるのでリピートできる。私はもはやマンダリン行くために有休や代休を使うのも辞さない。紅茶の種類が増えたらなおよいというか助かります。

 

リッツ・カールトン/ザ・ロビーラウンジ

teavoyage.net

 

スイーツもセイボリーもおいしい。スコーンがふるわない。サービスは塩。お茶は飲み変え不可。ですが週末も金額が変わらないというのが神がかっています。雰囲気も「ざ・あふたぬーんてぃー」という感じで、「アフタヌーンティ行ったことないんだよね〜」という人にはとりあえず勧めておく。季節による内容の変化があまりないので頻繁に行きたい感じではないけれど、安定感がありとにかく人を連れて行くのに向いている。

 

❸パレスホテル/プリヴェ

teavoyage.net

 

4000円台でアフタヌーンティやっているところを見るとスタンディングオベーションしたくなる。しかも週末も同じ値段。しかもしかも夜(仕事後にいける時間)もやってるとか天才かな。

上記2件に比べると食べ物はフレンドリーな感じ(子供も好きな味)。逆にそれがいいという人も多いと思う。おいしいです。マロンシャンテリーが食べられるのも地味に幸せ指数が高いですし、唯一スコーンがないのが不満だったのですが、写真を見ている限り最近はスコーンがのっている。これは嬉しい転換。

季節による内容の変化は少ないけれど、紅茶の種類が豊富なので、「紅茶が好きなのでアフタヌーンティが好き」というクラスタであれば喜んでリピートする。なんせ週末や夜という選択肢があるのは本当に嬉しい。変わっていなければ、ロイヤルミルクティーもあります。なんかこう書いてたら割とプリヴェ最強でした。サービスさんもすごく人間味あふれるというか、フレンドリーな感じで居心地がよかったことを覚えています。

 

 

ということで以上3件です。トップ3とかじゃなくて、リピートできるアフタヌーンティは以上3件です。あとは番外ですが椿山荘はロケーションが特殊なので四季折々行きたくなります。

 

一点だけ、アフタヌーンティに力を入れているようなところでシャングリラだけ行けていません。シャングリラは週末だと6000円にも届こうという金額になるのでいける目処が立っていません。

続・隙間を作る

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ツイッターで済ますつもりだったけれど、事象の連続性をアピールするためにやっぱりこちらに書こう。

 

最近不定愁訴的な心身の不調があるということをうけて、昨日のエントリー「隙間を作る」で睡眠時間の確保、食生活の改善、スケジュールの管理を宣言した。

 

nyoki2.hateblo.jp

 

そんなわけで昨日は、宣言初日くらいは…という思いもありかなり要素を詰め込んだ。

 

まずなにがなんでも0時に寝るという決意のもと、いつもだらだらと後回しにしがちなお風呂を20時に。しかも入眠補助のためお湯もためてゆっくりと浸かり、副交感神経を優位にした笑。

 

夕飯は、コンビニのサラダとスープ(サラダチキンを入れてチンするミネストローネ)なので食生活の改善のうちには入らないかもしれないが、とりあえず炭水化物は食べなかった。生野菜はどうか知らないけどスープは割と消化しやすいものではないか?消化しにくいものを食べたり、寝る直前に食べたりすると寝ている間に胃が活動して休まらないと聞いたのでそのあたりを意識してみた(すべてあいまいな情報でシュールだけど、気持ちの問題だから許してほしい)

 

そしてダメ押しの一手としてホットカモミールミルク(カフェインフリー)もはちみつ入りで飲んだ。無脂肪乳なのですごくおいしいわけでもないが、「ここまでやってやったぜ」という謎の達成感は得た。

 

それからスケジュール管理の側面では、なんだかんだ後回しにしてしまっていた某仕事を昨日かなり気合を入れてやった。いざ始まればなんてことない仕事だけど、なんせ疲れがたまっていたのでずるずると先延ばしにしてしまっていた。思い切って取り組むことで、逆に精神的な負担が少し減った気がする。それから請求する側の処理やされる側の処理など細々としたことも済ませた。

 

で、0時にはちゃんとベッドに入って、しかも1時過ぎには寝れた。

そしてここからが大事なのだが朝はべらぼうに眠くて全然起きられなかった。

 

以上です。