起きた瞬間に、ふと思い至ったことがあるのでメモ。
最近某企画への応募のためにコンプレックスをテーマにしたコラムを書いたのだが
未公開なのではしょるが私は過去に「自分がブスであったためにした嫌な経験」があって、それが軽くトラウマ化している。
ブスと言っても、ありふれたレベルのブスだ。
可愛い子と、その他大勢の、大勢の方。
だけど「ありふれたレベル」だからこそ、気軽にその部分をいじられがちなのである。
いまだに忘れられないが、何年か前、当時書かせていただいていた媒体で、ニコ動の番組が始まった。
前の晩に、その頃の恋人と一悶着あって、傷心のまま眠った翌朝に着信音で目が覚めた。出ると編集長からで、番組にゲスト出演しないかというオファーだった。
「顔は“普通”なんだけどなぜか男が絶えない女代表として出てくれない?(笑)」
え・・・・・・そ、それってどういう・・・・・・
ぶすとまでは言われてないけど、実際に放送された番組タイトルはこれだ。
ブスなのにモテ続ける?勢力拡大中の「クセブス」とは
おいっ!笑
ちなみに出演は遠慮したので、出演したのは他のライターさん。配信を見ていないので、その子がどういう心持ちで出たのかは知らない。
こういうカジュアルな感じのいじりであれば、ノリよく笑いに変えていける人材というのは実際に存在する。こういった番組や、飲み会などの席では神がかった立ち回りができる人材だ。
だけどそういう人たちの根本には、少なくともそこに関する決定的なコンプレックス意識がないし、もしくは仮にあったとしてもそれをなんとか昇華しようという涙ぐましい精神努力のうえでできていることだと思う。
12年間の女子校生活の末入学した大学で、早々にクラスメイトから「ブスは黙れ」と言われたとか、合コンの席で自分だけ翌日の連絡が一件もこないとか、相席居酒屋で着席するなり「チェンジ」と言われたとか、それを笑いにできたらいいのはほんとにわかるけど、できないのである。
というか、これらは一応持ちネタとしてそれらしきタイミングにお披露目することがあるにはあるが、せいぜいちょいウケくらいで爆笑が起きたことはない。テレビの向こうのお笑い番組ならともかく、近しい人のリアルな自虐ってさほど笑えない。というかお笑い番組ですら、個人的には、いじりが過剰に感じて笑えないことが多い。コントや漫才ならおもしろいものたくさんあるけれど。
話がそれたけれど、要するに、私を含め、自分のコンプレックスを笑いに変えられないタイプの人間は少なくないと思う。
先日の童貞いじり炎上とかまさにそれで、いじってる方は「むしろいいじゃん童貞」「全然悪い意味で言ってない!」みたいな理論があったとしても、いじられる側は真顔っていう。そして「ノリ悪っ!」て言われるていう。
もしかしたら私のクセブス案件も、言うて決定的なブスとまでは思っていないからこそ、出演を持ちかけてくださったという捉え方もできる。でもこっちはまっすぐに傷つくっていうことは往々にしてある。
コンプレックスに蓋をせず、己の影に光を当てて笑いに昇華していける人たちのことを、強いなあと思うし、すばらしいなあと思うけれども、特段そうなりたいとも、そうあるべきとも思わない。どっちでもいいと思う。だから私はこれからも蓋をして、なかったこととして生きていく所存。
人のコンプレックスイッチ、どこにあるかわからないので、自分も気をつけよう。
※念のため補足すると編集長はすごくいい方で関係性もよかったと思うのですがこの件についてのみ折り合いが悪かったという感じです。