なんでこんなこと書くのと言われても、明確な答えは思いつきません。
でも今日は、うつ病で自殺を考えている人に、自殺未遂をして精神病棟も紹介された状態を乗り越えなんやかんや社会復帰を果たした私から、ちょっとだけお手紙を書くことにします。
ほぼ実名でwebライターをしている今、うつ病の既往歴ってわざわざ書かなくてもいいよね、むしろやめとこうという題材ではありますが
もういいんだよそういうことは。ええい、ままなれ
さて、さかのぼること7年。
当時二十歳だったわたしは、某医学部の2年生でした。
医師の家系に生まれ、幼少期から将来自分は医者になるんだろうなーと思い込みながら育ち、なまじ要領がよかったばっかりにストレートで医学部に入ってしまったわたし。
理想と現実のギャップに、苦しみました。
まず、勉強が大変すぎる笑
そもそも受験自体、毎日12時間くらい勉強し、円形脱毛なども経験しつつ最終的に悟り開いて乗り切っているというのに、その受験の直後に、さらに過酷な勉強量が待ち受けてるってこと自体どうかと思うわ。
確かに、近い将来誰かの命を預かるわけですし、きちんとした医師になるために人一倍勉強が必要なことは当然理解できます。でも10代後半っていうのは、一応思春期にあたるわけだし、理屈でどうこうできる時期じゃないじゃないですか。
もともと好奇心旺盛で、やってみたいこともいろいろあった。でも、超がつく進学校だったから、それら全てトランクにぎゅっと詰め込んで破裂しそうな状態で受験生してたわけなんです。
受験終わったらこのトランクあけて、一枚一枚広げてみるんだって楽しみにしてたのに、いざ進学してみたら、受験勉強の方がはるかに楽だったじゃんと気づく。
「夢の詰まったトランクは永遠に封印されて鍵を閉められたんだ、この勉強が一っっっっっっっ生続くんだ…」って思ったら、本当に怖くて。
そういうマインドでいたときに、きっかけは恥ずかしすぎて言えないんですけど、なかなか大規模なダークサイド転落事故を起こし、そこから坂道を転がるように状態が悪化。
もうここ(医学部)から逃げ出したい!!限界!!となったときが過去最悪に抑うつ状態だった時期です笑
想像に難くないと思いますが、わたしが医学部に入れたのは、両親や家族のこれ以上ないほどのサポートがあったからでした。それは精神的なものもそうですし、当然、金銭面でもそうです。
ほんとに、トータルでいったら数千万…
それを考えたら、医学部をやめるなんて不可能でした。
そこで、すでに極限まで精神が磨耗していたわたしは、「残された選択肢…それは死」と思って(どんだけ短絡的)、ほんとにやらかしてしまうわけですね。
。。。
あー生きててよかったあ笑
危ない危ない笑
その後紆余曲折あって芸大に受け入れてもらったのですが、最初の2年くらいは精神も割と荒波に揉まれまして、よく軽いノリで「メンヘラ乙ww」みたいに言われていたのですがその度にまあまあ傷ついていました。(そして第二回目もやらかすのですがこの話はもういいや)
大人になるとは不思議なもので、今私は27歳なのですが、ここ1、2年はほとんど自死願望があらわれなくなりました。
何が劇的に変わったというわけではないので、多分精神が自然と成熟して、もう少し物事を俯瞰的に見れるようになったり、マインドコントロールができるようになってきたのかなと思います。
先日「メンヘラは無理をしない」と発言したところ、すこし反響があったのですが、これは自分の経験から言えることで、
「精神がこれくらいの状態になったら私は死を選んでしまう」という過去の事例から逆算して、
・ここまでつらいことはしない
・ここまでつらくなったら逃げ出す
という線引きができるようになったんです。
たとえば、世の中にはブラック企業で心身ともに磨耗して自殺を選んでしまう方がいますね。多分そういったニュースを見ている人はこう思うと思います。
「死ぬほどつらかったなら、どうして会社やめなかったんだろう…」
まあ、やめれないですよね。
心身が磨耗すると判断力が鈍るんですよ。最終的にはもうわけがわからなくなって、わけがわからないまま線路などに吸い込まれているものと思われます。
自殺って、すこしでも判断能力が残ってたら、こわくてなかなかできないですよ。大きな電車がすごいスピードでホームに滑り込んできて、そこに飛び込めますか?飛び込めないでしょ普通。
私の提案はこうです。
判断能力があるうちにやめましょう。
会社だけじゃないです、あなたが死を考えている原因、取り除けるのであれば取り除きましょう。判断できるうちに。
それはもしかしたら浮気を繰り返す彼氏かもしれないし、うまくいかない家族関係かもしれないし、具体的になにかは人それぞれだけど、この世に取り除けない原因ってそうそうないです。
会社やめるとかも含めて、ちょっとやそっとじゃ取り除けないものはあると思いますけど、そもそも冷静に考えればあなたが直面している選択肢は「取り除くか」「死ぬか」の二択であり、
それで後者になることってあります?
会社の例ばかりで恐縮ですが(他意はない)、たとえば会社をやめたいとするでしょ。まわりに相談すると、みんなもう少し頑張ってみろと言う。たまに田舎に帰れば両親も、無邪気に「立派な仕事についてくれて鼻が高いわ✨」なんて言ってくる。
やっぱりやめれないってなりますよね。だいたい次の仕事見つかるか不安だし生活もどうなるか…って思いますよね。
でも「次の仕事見つかるか」どうかの心配って、生きていること前提の心配ですよね。
もう死のうという決意を固めかけている人が次の仕事の心配する必要ないですよね。
しかもあなたが死んだらまわりの人も家族もこう言いますよ。
「そこまで悩んでいたならどうしてやめなかったのか……」
お前らだよってなりますよね。
でもそれってやっぱり違う。自分を守れるのは自分だけです。まわりが手を差し伸べてくれると思ったら大間違い。
家族ですら精神までは守れない。これは本当に肝に銘じてほしい。
誰かに助けてもらおうと思っても無駄。どんなに親や友達から愛されてても、精神は誰にも踏み込めない域なんですよ。だから自分の精神は自分で守ってください。
死ぬ覚悟があるなら他の方法も絶対ある。
精神が死ぬと肉体も死ぬ。まずは精神を守ってほしいと思います。
一時期わたしは、精神が弱いというのは本当に人としてものすごい欠陥なんだ、社会性に関わる大問題なんだと思っていたのですが、
そう思っていても弱いものは弱くてしょうがないんでこれはもうハンディキャップというか、個性なんだと思うようにしています(開き直り)
生まれつき背が低いとか、血液型とか、そういう先天的な要素のひとつとして、「メンヘラ気味」っていうのがあるってことにして割り切りました。
だってもうしょうがないものはしょうがないんだもん。もうしょうがなくない!?(頭悪そう)
死を選ぶくらいだったら、いっそメンヘラな自分を許して受け入れて余生をまっとうしたほうがいいんじゃないのかって。ね、建設的でしょ。
だからもう、基本は生きているだけでほめられたいです。でも誰もほめてくれないので、日々自分でほめてます。
みんなも、あんまり自分を責めないで、たまには生存していることをほめてあげてくださいね。
でもこんなこと言っていいのかわからないけど、ほんとにほんとにもう無理って思ったら、死んじゃってもいいと私は思ってます。
そういうふうに考えるだけで、少し気がらくになりますよ。
とりあえず仕事やめて、それでも無理だったら死のうとか、そういう考え方は意外と心軽くします。
きっとなんとかなりますから、10年後のことじゃなくて明日の自分の精神を守る方向性で行動を起こしてくださいね。
お互い、がんばりましょう。