それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

前略 私はネガティブではありません。

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よく、「世間に対して鬱憤が溜まっているんだね」と言われますが違うんです。ただ議論好きなだけなんです。許してください。

 

今日言いたいのは、私は厭世的ではあるけれども、ネガティブじゃないんですという話。

 

本来の厭世的の意味とはちょっと離れるかもしれませんが、ここでいう私の「厭世的」とはどういう状態かというと、私の場合はとにかく生きることへのモチベーションが信じられないくらい低く、生きてても死んでてもいいや、くらいの冷めた考え方をしてしまう状態です。

 

思うに、うつ病ともちょっと違うようです。悲しい感情を伴っているというより、単純に興味の対象に「人生」が入っていないという感じ。

 

私がポロっと「なんにもしたくないし、なんにも楽しくない」と言うと、「疲れてるんだよ。旅行にでも行ったら?」と言ってくださる方が多いのですが、そうじゃなくて本当に旅行も遊びも含めてなんにも楽しくないんです。

 

とまあそんなスタンスでいると、「ネガティブだね」「悲観的だね」と言われる頻度はかなり高くなります。もしくは「そんな悲しいこと言わないでよ」と言ってくれる人もいます。しかし、考えてみてください。

 

たとえばさほど興味ないドラマがあったとして、続編をやるかやらないかという話になったときに、すごくどっちでもよくないですか?

 

興味ないものは興味ないんだから、興味出せと言われても無理な話。そもそも興味出せと迫る必要性もないかと思います。

 

食べ物の好き嫌いにも似ていると思います。私はレバーがどうしても食べれないのですが、どんなにそのおいしさを説かれても食べられないものは食べられません。

 

「こんなおいしいもの食べれないなんてかわいそう」と言われても食べられないものは食べられません。

 

もっと人生楽しみなよと言われても楽しめないものは楽しめません。それをネガティブと表現するのはやはりしっくり来ないと思います。

 

 

仮に、もし私が「私は人生が楽しくないから、生まれてきた意味がない」とか「私は人生が楽しくないから、楽しんでいる人にばかにされている」とか言ったらそれはネガティブかもしれません。現実以上に、悲観していることになるので。

 

でも私は「私は人生が楽しくないが、死ぬほどではないかな」と思っているので、むしろポジティブとすら言える可能性もあります

 

 

一方で、この思考をなんとかしたいと思っているのも事実です。

なぜなら、「興味のないドラマ」であれば見なければいいだけ、「レバー」であれば食べなければいいだけなのに対し、人生は強制参加だからです。

 

家事が嫌いなのに主婦やるのってつらいじゃないですか。どうせだったら家事洗濯炊事を好きになれれば、毎日の生活も少しは気が楽なものになるはず。

 

人生が楽しくないのに人生をまっとうしないといけないって、やっぱりそれなりにつらいものがあるんですよね。

 

 

しかし。ここにも私はまた活路を見出したんですよ。

なんと!自分の人生が楽しくなくても、他者の人生を楽しむことができることに気がついたのです。

他者というのは、わかりやすい例で言えば恋人ですが。

 

家事嫌いな主婦でも、旦那や子供の喜ぶ顔が見たいというモチベーションがあれば、家事もなんとかなったりすると思います。

それと同じ原理で、人生が楽しくない私でも、他者を触媒にすれば、何かを頑張ろうという気が起こせることがあるのです。

 

 

書いてて思いましたけど、私やっぱりめっちゃポジティブですね。

結論、私はネガティブどころかポジティブ。

 

 

いつにも増してまとまりがない内容になってしまいましたが、まあ誰が読んでるかもわからないブログだし良いよね。

ちなみに、今日の画像のタイトルは「おとなしく抱かれる猫」です。“人生という荒波の中で自己問答しているうちに一時的に悟り顔になった私”のメタファーとして採択しました。

 

それではまたね!