それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

袖振りあうも多生の縁

歳を重ねるにつれて人づきあいに関する考え方が変わった。

10代の頃は「知人を友達を思えるまでには最低2年はかかる」とか「交友関係は狭く深くがいい」とか言っていたものですが(まあ今でも思うには思うけど)

最近は「自分と他者はあくまで別の人間だ」ということへの理解が深まり、何年一緒にいたって理解し合えない部分はあってもおかしくないし、一緒に過ごした時間が短いからといってその人が自分の理解者ではないということにはならないと思えるようになった。

当たり前といえば当たり前のことだけれども。

だから付き合いが長かろうが短かろうが、ある瞬間にある感情を共有できたなら、私はぜひその人を友人と呼びたい気分である。

 

 

 

たとえば、一緒に食事を囲んでおいしい!と感激し合えたなら。

画面越しに同じゲームをして(ネトゲのことだ)、一緒に熱くなれたなら。

映画館でたまたま隣に座って、同じシーンで涙をこぼしたなら。

 

 

そのときその感情を一緒に抱けたことが何よりのコミュニケーションだと思う。

その人がどんな思想や理念を持っているか。どんな価値観か。

やや乱暴な言い方だがどうでもいい。

名前や性別だって問題ではない。もちろん国籍も。

 

 

 

・・・・・・・・・・・って思える出来事がこの前あった。

 

作家・小野美由紀さんが主催した「身体を使って書くクリエイティブライティング講座」に参加したときのこと。

 

f:id:maimaimu:20170920162833j:plain

 

実はライティングに関するワークショップに参加したのは人生初だったのだけれど(なぜか演劇のワークショップに一回行ったことがある)、なぜこちらの講座に興味を持ったかというと

 

ワークショップ概要ページの「狙いと目的」の1つにこう書いてあったからだ。

 

3.自分らしい表現方法を深める
自由に、楽しみながら、自分らしい表現方法、人に伝わる方法を発見してゆきます。

そのために、心と体の緊張をほぐすワークや、自分のなかの「感情の素材」に出会うワークなどが用意されていると書いてある。

 

・・・・・・・・・・・・・どういうこと?(笑)

 

ワークショップ自体ほとんど経験がないということと、私の想像力の乏しさで、この説明がわかるようでわからない。

それなら体験してみようじゃないかと思って申し込んだ。

 

なぜか試す側のような心境の受講前

後から振り返ってなんとなく思うことなので、そのときはそういう自覚を持っていなかったと強く主張しておくが

 

根がひねくれているせいか、受講前はどこか斜に構えていた部分があるような気がする。

 

小野さんにお会いするのは初めてだったので、どういう人なんだろう。ファシリテーターとして名を連ねる矢野さん、岡村さんも何者なんだろう。一体どんな人がこの講座に興味を持って申し込むんだろう。どんな文章書くんだろう。どんなテンションで取り組むんだろう。

 

もう、全然当事者意識がなかった気がする!いやお前が受講生だよっていう(笑)

 

まあ嵐でしたしね(関係ある?)

 

濡れそぼっていたので。

でもそうかあ、そんな私みたいな人のために畳の上をキャーキャー言いながら走り回るワークがあったのか…。

 

受講生とファシリテーターで計12人だったと思うのですが、前の人の肩に手をおいて電車のように連なった状態で、先頭の人が最後尾の人を追いかけまわすっていうアホ極まりない遊びで絶叫しながら逃げまどった私はなぜ最後尾にいたのかというとじゃんけん電車でひたすら負け続けたからである。

 

 

ほかには、2人1組になって、前の人は目をつぶり、後ろの人は前の人を押して部屋中を歩き回るというワーク。前の人は、後ろの人を信じてひたすら足を前に進めるしかないのだが、これが案外こわい。しかも途中で後ろの人が入れ替わる。目を閉じているので誰になったのかは見られないため、「触り方や手の大きさなどに意識を集中させて、誰が押しているか想像してみて」とのこと。

 

これがほんとに面白くて、ただ押されているだけなのに人によって全然違う!見た目やしゃべり方、性別などに印象操作されずに、その人の本質?に触れられる気がした。そして最後に押してくれたのは小野さんだったのだが、目を開けていいですよーと言われた瞬間に「美由紀だと思ったあ!」と咄嗟に口をついた。

 

 

…どんだけなれなれしいねん私

 

 

でもそれも愛嬌みたいな雰囲気だったので大丈夫です。

 

※ちなみに下の名前で呼び捨てにしたのは、最初にお互いの呼び名をインプットするワークがあってそこで「美由紀」と何度も発語していたためであって、私がぶっ飛びすぎているというわけではないです、念のため笑

 

気づけばすっかり当事者意識に変わる後半戦

午後のワーク、つまりどのように自らの中から「素材」を見つけそれをアウトプットにつなげていったかについては、せいけんさんのレポートや

kiga-rune.jugem.jp

同じく受講していたれいちゃんのnoteに詳しいのでここでは割愛する。

note.mu

 

ちなみにれいちゃんのレポはタイトルの日付は違うわ参加者の人数は違うわで数字にどんぶりなところがとてもいい味を出している(笑)

 

それはいいとして、後半もあんなことやこんなことをしながらワークを頑張った。その過程で、同じテーブルの人とインタビューし合いながら意見交換したり、ヒントを出しあったりする。狙いとしては、第三者の視点を加えることで自分の中にある「素材」を客観視することができ、作品に昇華しやすくなったり、もしくは新たな発想のきっかけになったりする、などあると思うが

 

結果的にものすごい相手の内面を知ることになる(ほじくるとすら言える)。

 

たとえば私が「東京都出身で小学校から高校までカトリックの一貫校を出ました。その後医学部に入りましたが2年で中退して東京芸大に入りました。新卒で入った会社は1か月半でやめてそのあとも紆余曲折ありましたが今は会社勤めでライターをしています」と説明したら私の半生を知ることはできるかもしれないが

 

それはつまり何も知らないのと同じである。私が女であることや28歳であることと同じくらい表面上の情報だ。

 

でもこの日、こういったことをなにひとつ知らない受講仲間たちは私の「日記を20年近く書き続けていること」「失うことを過剰に恐れる性質」「音楽をきっかけに精神を立て直した過去」「なにかとセリフ調で作文するクセ」「ルールがかえって私を生かすこと」「小学生のときオリジナルの暗号を使って手紙を書いていたこと」「猫ばかであること」「じゃんけん電車が弱いこと」を知っている。

すごくない?

しかもその中の「失うことを過剰に恐れる性質」「ルールがかえって私を生かすこと」「じゃんけん電車が弱いこと」は自分自身ですら知らなかったことだ(じゃんけん電車はもういいよ)。

 

 同様にして相手のこともたくさん知ることができた。あるキーワードからどんなものを連想するか、何を題材にして書くか、どう発表するか。そのひとつひとつがすべて個性で、その人そのもので、まさに作品だった。端的に言うと、私はとても感動した。

 

 

それからね、その日私は猫神「ふわふわ様」の話を書いたのだけれど、ワークで「お互いの文章を交換して読む」っていうのがあって。これもやはり第三者の視点を持って自分の作品と向き合うためだと思うが、私の創作文を怜ちゃんが読んでくれまして。あとからわかったことだけれど怜ちゃんは日ごろからライブをする人物で、まさにプロという感じで見事に「ふわふわ様」の世界観を表現してくれた。

 

私は大学で作曲を勉強していたこともあって、自分の作ったものを他者が表現するという形態が大好きである。自分の作品にまったく新しい+αの力が加わって別モノになるというイリュージョンが大&大好きなのである。

だからワークショップラストの発表のときも、みんな自分で発表する中、私は怜ちゃんにお願いした。「人の文章を読むのは初めて」と言っていたので、私は怜ちゃんの初めてを奪ったのである(何の話)

 

 

あの日、あの会場へ行くまで

私は、このワークショップで何か得られるとしたらライティングに関するクリエイティブな発想だと思っていた。

もちろん、ライティングに関するさまざまなワークはどれもおもしろく、創作意欲を掻き立てられ、自分の知らない一面を知ることになり、非常に充実していた。

けれどそれ以上に、自分が初対面の人の言葉にこんなに胸を動かされることがあるのだと知ることができたのは嬉しい誤算だ。

 

そして最後、小野さんから「ぜひ創作の仲間を見つけてほしいと思う」と言っていただき、まさにそれだ、必要なのは、仲間だ…!と嵐の真ん中で思ったのだった。

 

 

 

 

作るって、すごい。作るって、爆発だ!

芸大を出ていながら、なんだか忘れていた。毎日会社員として何千字も無機質な言葉をタイピングしていたら、忘れていた!

 

でも思い出した!やったー!!

 

私はあの日、本当に「やったー!!」と思いながら眠りについた。あの日の爆発、忘れたくないなあ。