時折だーだのことを思い出す。
5歳のときに、旅行先でなくしただーだ。
だーだというのは、愛用していた小さなかけ布団である。
あまりに気に入り片時も手放さなかったために両親が旅先にも持って行ってくれたのだ。
それがあだとなった。
睡眠欲・食欲・だーだ欲くらいの勢いで重要な要素だったのに失ってしまった。
人生で最初にもっとも悲嘆にくれ
来る日も来る日もだーだを想って泣いた。
二度と戻らないだーだ。
二度と抱きしめられないだーだ。
あまりに悲嘆に暮れていたので、母が同情してだーだそっくりの布団を作ってくれた。
でもそれはだーだではなかった。
わたしは悲しみから逃れたい一心で、だーだレプリカを愛そうとしたのだけれど
これはだーだじゃない。だーだとは何かが違う。触れた感じも、抱きしめた感じも…。
あれは私が初めて体験した「喪失」だった。
だーだ自体への執着を忘れたあとも、だーだを失くしたという事実だけは何度でも身に迫ってきた。
永遠に失われただーだ。
あの日の絶望。だーだが見つからないと知らせを受ける日々。
…
今日ふいにだーだのことを思い出した。
だーだをぎゅっと抱いて眠った心地よくて幸せな日々のことを。
一体だーだとはなんだったのか。あのぼろぼろの布団。くさかった布団。てかそもそも「だーだ」ってなに。ひらがななのかカタカナなのかもわからねえ。
だーだは概念に違いない。(※実在の布団です笑)
絶対に離したくなくて、安心できて、心地よいもの。それがだーだ。
あの日失っただーだを、多分今もずっと探してる。