それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

2018.2.24

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飲んで寝たからか、映像の停止ボタンを押されたかのようにプツッと目が覚めた。土曜日の朝6時。ここ数週間は3人暮らしをしていて一人の時間というのが恐ろしいほどなかったから、突如ぽっかりと湧いて出たこのポケットのような時間に妙にわくわくする。

 

ところで平日の仕事は10時からで、超ギリギリまで寝ている私の起床時間はおよそ9時である。すると猫たちはいつも先に起きていてリビングでゆったりと外を眺めていたりするから、何時頃どのように起き出しているのだろうとずっと疑問だった。それ自体はいまだによくわからないのだが、少なくとも6時段階ではふたりが身を寄せあってベッドで爆睡しているのだということがわかって、世界の真理にひとつ近づいた気分。そしてふたりの様子をただじーっと暗闇のなかで眺めていたら、家族がいるのはいいものだなあと当たり前のことをじわりじわりと感じた。

 

当たり前のことも、体験を伴うことで改めて理解できるということは、ままある。

書き出してみると本当にばかみたいなのだが、早く寝ると早く起きられるとか、たくさん着込むと暖かいとか、運動すると調子がいいとか、お酒を飲むとコミュニケーションが捗るとか。

しかもこれらは毎回、いい感じに忘れてしまって、ことあるたびに「うわあ早く寝ると早く起きれるんだなあ!」なんて思ったりするのは我ながら少し頭が悪い。

 

そして「好きを仕事にするより得意を仕事にした方が生きるのがラクだから」という理由で書き仕事をしているつもりだったけれど、こういう機会にこうやって自然とPCを開いて日記を書き出すあたり、やっぱり書くことが純粋に好きなんだろうなと思った。なんだかこれも第三者から見たら「そりゃそうだろ」という感じなのだろうけど、自分としてはやはりこれも体験に伴ってしばしば思い出すことのひとつなのである。

 

 

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昨晩はいい意味で毒にも薬にもならない気楽な飲み会だった。ネトゲの友達なので年も環境もばらばらなのだけれど、なんやかんやと2年半ほど知り合いの人々なので謎のまとまりを感じる。

 

ふと思い至って今年のスケジュールを振り返って見ると、プライベートの約束の8割くらいがネトゲの友人だと気づいて戦慄。考えてみれば家でも、ハープを練習しているかゲームをしているかのどちらかなので、随分と自分の生活の軸がゲームにあるものだと素でびっくりしてしまった。

 

ネトゲの友人は基本的に好き。リアルで知り合う人とは、どういう経歴なのかとかどういう道をめざしているのかとか、そういう部分に注目したり話したりすることが多くて個人的には肩が凝る。この歳からバカな話ばかりできる友人に出会う機会はそう多くなくて、だからこそネトゲの友人は結構貴重な存在になったりならなかったりする(どっち)。結局、期待もしなければ失望もしない、そういう距離感で長く付き合えるのが私としてはベストなのだと思う。

 

期待するのは、本当に疲れる。勝手に期待して、勝手に落ち込む。LINEが返ってこないとか、同じだけの好きが返ってこないとか。見返りを求めると大概ろくなことがなくて、できることはただ愛することだけで、そこに愛が返ってくるかどうかはもうコントロールのしようがないということを何度も自分に言い聞かせないといけない。

 

戦略はときに大切というか、現実問題有効だったりするけれど、本質的にはそれも違うなと思う。ここでこう言ったら気が引けるかなとか、ここらで連絡止めておこうとか考えないこともないけれど、とにかく根本では「いかに歪みなく相手を愛せるか」が絶対的に大切で、その言動は筋が通っているかとか、誠実さはあるかとか、そういう部分だけはまがりなりにも担保したいと切実に思う。聖人君子にはなれないし、欲深い自分を取り繕うことはできないけれど、そこさえクリアになっていれば、結果的に別々の道を行くことになったとしても、禍々しいタイプの執着や悔恨を残さずに進んでいけるのではないか。

 

 

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先日、出勤の道すがらにふと、「過去に捨ててきたものをすべて拾い集めてこれたらなあ」などと思った。日々を生きるのに精一杯で、気づけばこんなところまで来ていたけれど、改めて振り返ると失ったものの多さに足がすくみそうになる(から基本的には見ないようにしている)。

 

取捨選択の連続である人生において、何もかも抱えていくというのは限りなく不可能に近いとは思うのだけれど、それでもできるだけ取りこぼしたくないと保守的な感情にとらわれる今日この頃。少なくとも本当に手放してはいけないものは何か見極める審美眼を備えたいし、そうできるよう気張りたいと思う。

 

私の言う「誠実さ」はもはや偶像信仰に近い。つらいことやうまくいかないことを経験して、最終的に「誠実さとか正しさとかが自分を救うに違いない」という考えに至ったわけなのだが、冷静に考えてそれも宙をつかむような話だなと。考えれば考えるほど拠り所がなくなっていく。今日もわら一本にすがって、大海原を漂流していくような感じなので心細い(とは言え、もはやそれが通常営業)。

 

 

すごい、これといった主題もない文章を1時間45分もかけてとっくりと書いた。いい時間になりました。読んでくれた人、ありがとう。