それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

幸せな家族とはいかなるものか

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今日も、することがないのでブログを書いている。

娘を出産してから早6ヵ月。5ヵ月を過ぎたあたりから一日のタイムスケジュールがおおむね確立され、夜もぐっすり朝まで寝てくれるため、だいぶ手がかからなくなった印象だ。

初めての体験の連続で、出産直後はあんなにてんやわんやだったのに、今では娘を「娘」と言うことや、「お母さん」と呼ばれて反応することにすっかり慣れてしまった。

しかし夫との関係性はそう簡単には、こなれてこない。

彼と(ネトゲで)知り合って2年10ヵ月、初めて会ったときからほぼきっかり2年、付き合ってから1年と4ヵ月、同棲してから1年と3ヵ月、結婚して1年と1ヵ月である。

 

過去に一番長く付き合った人との交際期間は6年弱であったが、「会っている総日数」は果たしてどちらのほうが多いだろうか。6年付き合った彼と、1年3ヵ月ほぼ毎日顔を合わせている夫、どちらのほうがわたしは深く理解できているのだろうか。

 

***

 

最近、「幸せな家族」とはいかなるものか考えている。

笑顔が絶えないとか

お互いを思いやる気持ちがあるとか

記念日を毎年祝うとか

悲しいときは寄り添い、嬉しいときには2倍喜ぶとか

はたまた、それぞれが我慢することなく自分の人生を生きているとか

最近だと契約のような結婚の形もあって、それも幸せな家族をめざしたひとつの形なのかなと思う。

家族の数だけ「幸せの形」は違うのかもしれないが

正直、答えがほしいと思うときがある。

その答えをめざせばよいのだという、単純明快な答えが。

チェックリストがあればなおよい。

「10個中、7個以上にチェックがつけば、あなたたちは幸せです!」

みたいなね。

しかしそういう、固定観念に当て込むような「幸せ」というのは現代においてはそれはもうめちゃくちゃに嫌われているし(たとえば、結婚して子供をもつのが幸せとか)、わたしも別にそういうものを賛美したいわけではないのだが、

深夜にひとり孤独を感じたとき、わたしの幸せってどこにあるんだろうとひとりごちたことも少なくなく、何も考えたくない頭で、誰かにジャッジをくだされたいという気持ちが募るのである。

 

***

 

それはそれとして「幸せ」は、性質としては「新たに手に入れるもの」ではなく「現状から見つけ出すもの」であると考えたほうが本質であることは間違いがない。

冷静に考えてみれば、他者にリストを差し出される間でもなく、今おかれた自分の状況にどのような「幸せ」があるかを考えてみることは簡単だ。

となると、今おかれた自分の状況がどういった側面で幸せと言えるか考えてみようという気になる。

今回検討したいのは「幸せな個人」ではなく「幸せな家族」であるので混同しないよう気をつけなくてはならないが、家族は個人から成るものであるため、さしあたってわたしの状況を確認してみることにする。

 

まず、家族と家がある。特に血を分けた存在というのは、想像以上になんだか自分に力がみなぎる存在で、摩訶不思議である。おそらく、これは世間一般としても幸せ指数は高いほうだろう。

次に、仕事がある。基本中の基本だがありがたいことである。高給でもないがホワイト企業だし、なんと言ってもやりたい仕事につけている。これも恵まれたことだという自覚がある。

そして友人関係も極めて恵まれている。一貫校で小学校〜高校をともに過ごした友人たちとはライフステージが変わっても変わらぬ関係が継続しているし、趣味の友達、バイト時代の友達、大学時代の友達など大事な人を挙げたら両手の指をなん往復する必要があるか…。時に当たり前の存在に思ってしまいそうであるが、彼女たちの寛容さや聡明さには感謝するばかりである。

…と、こう書いているともはや嫌味の域に達してしまいかねないが、前述の通りあくまでこれはわたし個人の状況である。

 

次に、夫について。

やはり、家と家族があること。しかしわたしには、夫がこの項目を「幸せな事象」として認識しているか懐疑的である。というのも夫は若干二十歳。これらを「安定」と捉えるにはいささか若過ぎて、「枷」としての認識が上回っている…可能性は極めて高い。しかし定かではない。とにもかくにも彼のことがよくわからないのだ。

ここは「家族としての幸せ」を検討するに当たっては土台の部分であり、ここが揺らいだ時点でこの話が終了してしまう気もするが、ひとまず続けさせていただく。

次に、仕事もある。しかもわたしから見るとなかなかのホワイトだ。長い目で見たときにどうなのか…というところまでは測りかねるのだが、危険でなく、おおむね定時で帰れる、ボーナスも出るので個人的にはよいと思っている。しかし彼はとにかくやめたいらしい。やりがいが感じられないという。

人生においてかなり長い時間を過ごすことになる職場なので好きにしたらよいと思う一方で、昨年の秋にも同理由で衝動的に仕事をやめており、一カ月以上ニート生活をしていたため、あれの再来は勘弁という気持ちでいる。

友人は気のおけない仲間が何人かいるようだが、結婚を機に東京に出てきてから、以前ほどはきらくに遊べない状況である。

つまり夫にとっては、現況に幸せ要素がどうにも少ないようである。

 

「家族と家と仕事がある」

 

同じ条件のもとでそれを幸せに感じられる妻と、幸せに感じられない夫がいたら、果たしてその家族は「幸せな家族」なのかそうでないのか。

少なくとも数学の世界では+と−をかけると−になる。

 

***

 

 

彼は(わたしにようやく購入を許された)ゲームに夢中で、わたしは毎晩娘を寝かしつけたあと、ひとりでPCに向かったりNetflixを見たりして時間を潰している。そして適当な時間に寝室に向かい、昨日と同じ今日を終え、今日と同じ明日を迎える。

 

大きな不満はあるだろうか。

具体的に、こうなればよいのにという願望はあるだろうか。

いや、ない。

ないというか、「あると言うほどはない」というか。

わたしと彼はあきらかに凸凹で、いくつかのことを補い合えるけれども、肝心なところにぽっかりと溝が空いているように思える。

 

 

 

 

わたしは幸せな個人である。

 

 

 

しかし、幸せな家族だろうか。