事前に断っておきたいのですが割と暗いブログを書きます。
でも、特に今落ち込んでるとか、抑うつ状態ということではないので安心してください!(とか書くと余計こわい)
本当はFBに書きたかったけれど、そちらは母が読んでしまうのでこちらに。
母が入院して3週間ほどが経ちました。
「母不在の我が家」が通常運転になってきました。
ありがたいことに父がお手伝いさんを雇ってくれたため、週に3日、洗濯と掃除機かけにきてくれて、私はほぼ毎晩台所に立っています。
思っていた以上に何もかもがスムーズで、家族もある意味会社と同じだなと思いました。一人欠けても生活は問題なく成り立ちます。どうしても埋められないのは、精神的なものだけです。
母がいなくなってわかったことは、母がどれだけ偉大だったかということです。「失ってから初めてわかる」なんていうフレーズはこれまでに250回は目にしてきた気がしますが、ここでいう「わかる」は、"知る"ではなく"思い知る"です。意味は変わってしまいますが、「体得」という感覚に似ていると思います。理解ではなく、体得。
言葉にすると全て、そりゃそうだ、って感じのことです。
たとえば、家事と仕事の両立。
大変だろうなってそりゃわかります。
すごい、本当にいつもありがとう。そう思ってました。
でもいざ自分がやってみると
嘘でしょって思います。言うは易し、行うは難しです。
道行く人、ひとりひとりを呼び止めて、この両立がどれだけ大変か小一時間説明してそして褒めてもらいたいくらいの気持ちです。
仕事を切り上げて、ごはんを作って。洗い物をしながら、帰宅に合わせて食卓にのせる準備して。あったかい状態で出したいから、何品もあるとすごくばたばたしちゃって、自分の分はすっかり冷めて。やっと席について食べようと思ったら、「ごはんおかわり〜」とか言われたりとかして。
おいしいって言ってもらえる時もあれば、これ味薄いねとかおいしくないとか言われる時もあって。
「おいしくない」って言う時の男の人の顔ったらないですよ。
本当に、うんざりだよって感じの顔で、「これおいしくない」って言うんですよ。
まあおいしくないものに対して無理して「おいしい!」とか言ってもらう必要はないんですけど、ああ人ってこんなに不快そうな顔するんだなって。思った。
おいしくないって言われたら、ごめんねとしか言いようがないんですよね。いや別に謝らなくていいよ、って言われるんですけど、「おいしくない」に対しては「ごめんね」以外に返事思いつかないですよ。
ごはんを作るのは私の担当ですし、うまくいかなかったという事実は事実。謝ります。
でも、それにしても表情は本当に正直です。
父も人間なんで、「あんまりおいしくないかな」とか「ごめんね、これは残すね」とか言葉はオブラートに包んでくれるんですが、表情がもう不快感をあらわにしていて、それは漫画みたいに露骨に顔をしかめているとかではもちろんないんですけど、ちょっとした変化が、もうちゃんとそれが不快感、嫌悪感、もしくは怒りに近い何かを表しているな…ってわかるんですよ。
もちろん、おいしいって言われるときもあります。毎日が評価の連続。
1時間かけて作った料理はものの15分ほどで消え去り、父がテレビを見ている間私は無言で洗い物をするわけです。
念のため明言しますが、全く不満はありません。
父は私に住む家と愛情を与えてくれていて、毎日朝から晩まで働いて私たちを守ってくれています。父が、「今日のお夕飯はなにかな?」という気持ちで家に帰るのが楽しみになったらいいなって思いますし、それをモチベーションにしています。
そしてこういう時だからこそ、わたしたち二人が一緒に食卓につくことに深い意義を感じています。
なので全く不満はありません。
ただ、私が思うのは、家事というのは結構孤独だということだけです。
そして何より申し訳なく思うのは、私も母に対して「このお肉あんまりおいしくないね」とか「ごはんが今日は水っぽいね」とか、何の気なしに言っていたことです。
それらは全く悪意なく言っていたものでしたが、その言葉に対して母が言えることは、今の私と同じで「ごめんね」だけで、
その時は「このお肉あんまりおいしくない」という発言は「あくまでお肉の品質に関することで母を責めているわけではない」という理屈でいましたが、今ならわかるのは、
やっぱり自分が手をかけて食卓にのせたものは、「おいしくない」と評価されたらもうそれは絶対的に「おいしくない」のでその理由がなんであれもうごめんねという言葉以外口から出ようがないのです。
そして、その食べ物を食卓にのせるために、自分が仕事を早く切り上げる必要があってそれをめっちゃ頑張ったなどということは誰も褒めてくれるわけもないのです。めちゃくちゃ荷物重くて疲れてたけどスーパーに寄ってちゃんと買い出ししてきた、なんてことまでは誰も褒めてくれないのです。私が母のそういうところを褒めてこなかったのと同様に、今後誰にも褒められることはありません。ただ目の前の食べ物がおいしいか、おいしくないか、二つにひとつです。
私は、母に「ごめんね」と言わせてしまったことを今とても悲しく思い返しています。
もう一つわかったことがあります。
それは、なぜ母親というのはくだらないことをぺちゃくちゃぺちゃくちゃと話しかけてくるのかということです。
私が学生だった頃、学校でたくさんの人と話すので、帰宅してからは何も考えずにぼーっとテレビをみたり、携帯をいじったりしたいと思っていました。しかし、母が、大した内容もない話しを本当に延々と話しかけてくるものですから、正直かなりうっとうしいと思っていました。なので、これ以上ないというくらいつれない相槌を打ったり、なんならたまに無視してしまうこともありました。
今、私は、日中特に会話する相手もおらず、料理も黙々として、そして父が帰ってくると、ここぞとばかりに本当に他愛のないことをぺちゃくちゃと話しかけてしまいます。私にとっては、父が唯一の話し相手です。でも、父はテレビの音量をあげて、私の話しに興味のないそぶりをします。
それもそうだと思います。だって本当に、くだらなくて中身のないことを話しかけてしまうのですから。でもなんで中身がない話しになってしまうかというと、ずっと家にいるからです。びっくりするような、興味をひけるような出来事なんて、何も起きていないからです。
父がテレビの音量をあげたら、私は空気を読んで黙ります。父の考えていることがわかるから。私もそうだったように、父は外の世界で働いて、一日中いろんな話しを聞いて、今は何も考えたくないのです。家では休みたいのです。それがわかるので、私は黙ります。そしてただ、母に悪かったなと思いました。母は、孤独だったと思います。
私なんかはLINEやTwitterで、父以外にもいろいろな人と交流ができるのでいいですけど、母の時代はそうではなかったわけですから。
父と結婚して35年ほど、ようやくたった一人、私だけが母の孤独に本当の意味で気づいたと思います。
でも母はいつも笑顔で優しくて、家庭を切り盛りしてくれました。父の仕事も支えました。私を習い事に通わせてくれて、私が病める時も健やかな時も寄り添ってくれました。
今日も、母のお見舞いに行きました。
ちょうど夕飯が配られる時間だったのですが、遠くから母の姿を認めたとき、うつむいて、静かに、無表情で、ごはんを食べていて、それがすごく、つらかったです。
「母」にとっては一種の職場であったとしても、家庭はやっぱり家庭で、母がいるべき場所は病院ではなく家庭だと思いました。
病院の窓から見る外の景色は、なぜだかすごく魅力的に見えます。いつもは目にもとめずに通り過ぎているいろいろなものが、とても綺麗だと思ったりします。
母は、早く退院して家に帰りたいと言います。
私も、早くそうなったらいいのにと、思いました。