28歳を目前にして思うのだが、後から振り返ると人の“旬”は短い。
そもそも旬とはなんぞやという話になってくると思うが、とりあえず私はもし過去の自分に会えるのならこう言いたい。
「何もかも今やれ」
と。
ある程度自分の意志で動けて、未分化で、そして何より時間がある。
暇だと言っているわけではない。実際、社会人は会社に行けばいいだけなのに対して、学生はあれやこれやと手を出したりするからある意味では社会人より忙しいことも往々にしてある。
だけど、自分でスケジューリングできる忙しさと、そもそも定時というものに縛られている忙しさは融通の効き方がまったく違う。会社員は忙しいのではなく時間を拘束されているのだ。
やる気の問題ではどうにもならない。どんなに頑張っても週に50時間は拘束される。
そんな単純なことが、わたしはどういうわけかまったくわかっていなかった。事実としてわかっていても、全然理解していなかった。
一度働き始めたら、もう立ち止まることはできない。いたずらに歩みを止めようものなら、電気やガスも止まる。「挑戦できるけど挑戦しない」のではなく「挑戦したくても挑戦できない(もしくは異常なまでのリスクを伴う)」という状態になる。
言わせてもらうけど、社会には
「手遅れなんて言葉はない」
とか
「何歳になっても挑戦できる」
とかむやみやたらにポジティブな触れ込みが多すぎる。
それはある意味ではその通りだけど、そうじゃないことも多い。というかそうじゃないことの方が実際は多い。
「何歳になってもリスクをとれば挑戦すること自体はできる」の方が正確だろう。
だからさ、ね。
いつか何か人生のテーマに出会えるかも、とか言っている場合ではなかったんだ。
もし何かできるとしたら、何かを成せるとしたら、学生の4年間が最初で最後で最高のチャンスだった。
そう、あの時わたしは旬だったはずだった。
私はどちらかというとアクティブな学生だったと思う。ダブルスクールしたりインターンしたりTOEIC900取ったりした。
でも今思えば、すべて表面をなでているような生ぬるさだったと思う。
もっと泥に手を突っ込んでかき混ぜたりまさぐったりすればよかった。
こぎれいな学生生活を送ってしまった。必死さがなかった。
私は最初で最後で最後のチャンスをうまく使えなかったと思う。
就職に失敗したのも(そもそも就職を試みたこと自体が)自分をわかっていなかった、理解できていなかったからだし。
もちろんその失敗あっての今だと思うし、今何か取り返しのつかない状況になっているわけではないけれど、それでももうあの資源(自由自在に使える4年間)を手に入れることはないのだと思うと多少の悔恨が残る。
…でも、18の自分にこんな説教たれたら、「うるせえ、おめーよりよっぽど行動してるんだよ」と言われそう。そしたら「言えてる」って言うほかないな