それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

愛猫が死んだ

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7年間苦楽を共にした愛猫・ましろが7/12に虹の橋を渡ってしまいました。

(写真は生前ですのでご安心を)

私という人間はすぐになんでも忘れてしまうので今のうちにつらつらとましろの最期を書き残しておきたいと思います。

 

***

事の経緯

ましろの体調不良に気がついたのは、3/20頃で、黄色い胃液を嘔吐したのがきっかけでした。

そういえばカリカリの減りが遅いと気づき(うちは置きエサだし、3人家族が気づいたときに入れる方式なので気づきにくい)、さらにハッとしたのは「昨日からシャカシャカブンブンを持ってこない」ということ。

22日のハープレッスンでは先生から「ましろちゃん元気ないですね」と言われて「客観的に見てもそう思いますか!?」とその日のうちに近くの動物病院へ。27日に血液検査の結果を聞きにいったときに、「長くない病気かもしれない」と言われました。

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そのときはまったく病名なども不透明だったのですが、これ以上は地域の病院設備ではわからないということで、4/2に川崎の日本動物高度医療センターへ。がんの専門医に診ていただき、ついにすい臓由来の末期がんだということがわかりました。とてもこれから治療できることはないので、対処療法としてステロイドを打つくらいしかできることはないと言われました。

 

ましろは病院嫌いな猫の中でもおそらく上位に入るレベルで病院が大嫌いなので、つれていくかかなり悩んだのですが、父が「助からないとしても、どうして死んでしまったのかわからないままだともやもやするから」と背中を押してくれたため検査には連れていきました。けれどエコーのために全身麻酔をかけるときに案の定パニックになって糞尿をもらし、なかなかに凄惨な状態で手元に帰ってきて(もちろんドクターたちはできるだけ優しくしてくれたはずです)、そしてましろの怯えきった顔を見て病院にくるのは本当にこれを最後にしようと固く決意しました。

 

***

寛解

ということでましろを連れて帰ったあとは驚くほど何もせず、「なんとか助かる道はあるんじゃないか」と調べたり、がんに聞くと言われている高級な栄養剤を買ったり、といったことは一切せずただ毎日ましろを眺めて過ごしました。

ここに悩みがなかったのは幸いなことでした。末期ガンの猫のためにいろいろと手を尽くすべきか、多くの人は悩むところなのかもしれないのですが、私たち家族(というか私と父)の意見は一致しており、「ありのままにする」というもの。

野生の動物は、具合が悪ければ物陰にひっそりと丸まって身の保全をはかります。そして、自ら死を選ぶことは決してありません。

私もそのようにましろの最後を見守りたいと思いました。

するとどういうことでしょう。

本当に不思議なのですが、病院へ行った日の一週間後くらいから、カリカリを割ともりもり食べるようになったのです。心なしか起きている時間も長くなって、一度はシャカシャカブンブンを持ってきたことも。

「治ったのかも!?」

なんて思うほどは楽観的ではない私ですが、単純に我が子がごはんを食べている姿を見るのは嬉しかったです。

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***

下り坂期

6月の後半くらいから、またましろの病魔が力を増してきて、毎日少しずつ、ましろのからだが重くなっていきました。反して体重はどんどん軽くなって、これまでなでたときに触れることのできなかった箇所をあちこち触れるようになった。

ましろは一日の半分をベッドの下で過ごしていました。寝るでもなく、鳴くでもなく、ただじっと座っているのです。ずーっと香箱座り。何かを我慢しているのか、痛いのか、だるいのか、何もわかりませんでした。

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(水を飲むだけで感激して記念に写真をこっそり撮っていた。気が散らないように消音)

そして1〜2時間に一回リビングに出てきます。私はましろをよーしよしと撫でてやり、粉々にしたカリカリを手でかき混ぜて音を鳴らすとましろがカリカリをくんくん。「頑張れ頑張れ!」と背中を撫でてやると3粒くらい食べてくれます。この“応援”をしないとなぜか食べてくれないから、原稿中でもなんでも、ましろが起きてきたら駆け寄ってなんとか食べるように応援していました。このときほど、フリーランスでよかったと思ったことはないです。

 

そして今月に入ってから、いよいよカリカリも食べられなくなって、食べるのはチャオチュールだけ。それでも食べてくれるのは嬉しい。私の手から、ぺろぺろと食べた。

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(眺めるけれど食べられない)

7/5から、鼻がつまるようになって、腫瘍が鼻の方に広がってきたのだとわかりました。とにかくずっとズルズルと音がなっていて、口呼吸を絶対にしないために相当息苦しそうに見えた。それでもましろは、私が寝る時間になると一緒にベッドに上がってきて、わたしのおなかをふみふみしにきます。

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そして横にぎゅっと丸くなって眠るので、毎日ましろを撫でて、元気な頃だったら絶対に嫌がるような距離感で密着して寝ていました。私が起きてリビングに行くと、必ずついてくる。そしてチャオチュールを食べたあと私が原稿を始めると、じーーーーっとこっちを見て黙っている。仕方がないのでノートパソコンを持って寝室に行くとついてきて、ベッドに上がって丸くなる。そんなこんなで私はほぼ毎日寝室で原稿を書きました(しばしば一緒に寝てしまうことも笑)。

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(これらは病気がわかる前。見返してみると元から仕事中もいつも一緒でした)

 

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末期

7/9。起床した私のあとを追いかけてきたましろにチャオチュールをあげたら、ふらふらっと転んで痙攣を起こした。両手両足が揃ったまま、ものすごい痙攣でした。以前愛犬を亡くしたときにも痙攣は見ていたので、比較的落ち着いて見守ることができたと思いますが、やはりショックでした。聞いた話によると、痙攣中は意識がなくて、痛みなども感じていないらしい。それでも、痙攣を起こしている我が子をなすすべもなく眺めるのはかなりきつい。

痙攣が終わると、ましろは自分でも何があったのかわからないような様子で慌てて立ち上がろうとしたんだけれどうまくいかず再び転倒。また痙攣した。その日を境に、もう自分で歩くことはできなくなってしまいました。

せっかく買ったのに、一度も使ってくれなかったふわふわの猫ベッド。横たえると、ぴったりだし気持ち良さそうでした。いい感じ。使ってくれたらよかったのに。ね。

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(これは元からお気に入りだったベッドで通称キテレツベッド笑)

目はうっすら開いているけれど、目はもう合わない。ほとんどの時間ぼーーーっと横たわっているけれど、時折自分の足を抱え込むようにして前頭部を押し付け、「にゃああ・・・・!」と悲痛な声をあげていました。ときにはすごい勢いでごろんと一回転することも。脳内に違和感があるのか、割れるように痛いのか、とにかくわからない。でも私の手が近くにあるときは私の手に必死でしがみつきながら悶えるものだから、つらかったです。

「痛いの?かわいそうに」

早く楽にしてあげたいとはじめて思った。

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7/11。どうしてもこの日に(自分の)健康診断に行かなくてはならなくて、非常に不安でしたが家を2hあけることに。その間は母にみてもらっていたので孤独死だけはなかったけれど、それでも絶対に看取りたいという思いがあって、健康診断中、それどころではありませんでした。健康診断とは…。

10分に一回「生きてる?」とLINEで確認。最寄駅から家に歩く4分の間、なぜか泣いてしまった。ましろは生きていたけれど、3回痙攣を起こしたとのこと。私がいないのがわかって不安になったのかななんて思ったりした。

7/12。ましろがベッドで糞尿をもらしてしまった。眠すぎて、よく覚えていないけどとにかく片付けた。次に目を覚ましたとき、なぜかましろは私の両足の太ももの間に挟まっていました。多分もだえながらごろごろと転がった果てにわたしの足の間に挟まったものと思われる。私はまたまた眠すぎてよく覚えていないのだけれどとにかくましろをひょいと持ち上げて初期位置に戻しました。ましろの珍妙な動きにはもはや意思は介在していなくて、それはちょっと壊れたおもちゃが誤動作して、それをいちいち直す作業みたいだった。

私が起きてからましろをリビングに猫ベッドごと連れていったのだけれど、ましろは呼吸が苦しいのか頭をものすごく反り返らせて犬掻きのように足をずっとばたばたさせていました。目はうつろで呼吸量はすごく少なかった。どうにもずっとばたばたしているのでなんとかできないものかと抱き上げたら、止まった。だっこしている間はおとなしくしていたので、らくなのかな?と思って、私はこの日、数時間単位でましろをおなかにのせて過ごしました。

あと鼻くそがこびりついてしまっていたので、とろうと試みました。もうほとんど意識はないんだけれど、鼻を触られるのはそれなりに嫌そうなそぶり。私はそれすら嬉しかった。ある意味ましろの最後の意思表示でした(鼻くそはちゃんと取れた)。

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22:30頃。ましろがしゃっくりのようなものをし始めた。しゃっくり…?と思ったけれどよく見ると呼吸が止まりかけている。

あ、どうしよう。もしかして、もしかする…?

私は全然わからなかったんだけれどましろの顔に自分の顔を寄せて多分ものすごい真剣な顔で眺めていたと思います。しゃっくりのようなものの感覚が、ちょっとずつ広がって、これが最後の呼吸…?と思うとまたしゃっくりする、みたいな感じで。私はただましろのことを撫でていました。

ヒッ…と呼吸をして、ましろが動かなくなった。

「ましろ、ましろ」

私がましろをゆすると、ましろはまた「ヒ、」と身じろぎして、両手両足をぐぐーーーーーーっと伸ばした。まるで寝起きの伸びみたいな感じで、苦しそうにというよりは結構リラックスした感じの、伸び。それでふーーーーーっと息をはいて、スッといなくなってしまいました。

 

魂の重さとはよく言いますが、ましろのいなくなったましろは、本当にびっくりするくらい軽かった。全ての力が抜けて、手足はふにょふにょ。本当に骨と皮だけの入れ物がそこにはあって、まるで脱皮した抜け殻みたいでした。

わたしはましろを抱き上げて、まだふわふわのましろちゃんをぎゅーっと抱きしめました。うちに来てくれてありがとう、家族になってくれてありがとう。心からそう思った。

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(ベイビーましろ)

そしてお葬式のときにかわいい状態で送り出せるよう、顔が変形しないような状態にましろを安置し、穏やかな表情に見えるように目もつむってもらいました(死後硬直の前にしないと直せなくなるということを愛犬のときに学んでいた)。

両親が見舞ってくれて、翌日のペット葬儀の予約もして、ましろと眠る最期の瞬間だというときに初めて声をあげて泣いた。死んでいるのに、ましろはなおとてつもなくかわいかった。

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看取れたし、いっぱい一緒にいられたし、遊んだし、私の中に後悔はなく、ましろもきっと幸せな猫生を送ってくれただろうと思っています。長く苦しむよりはできるだけ楽に旅立ってほしいと思っていたし、できる限りでそのような最期をサポートできたと思います。なので意外にもあまり悲しいという感情はなく。それなのに、ふとした瞬間にわーっと泣く→2分で素に戻る、というのを繰り返しているので頭か体か、どちらかがましろの死についてきていないのでしょうか?

とにかく私は、次に生まれ変わってもまたうちの子になってね、と、それだけ毎日伝えたいです。

 

そしてすごく当たり前のように水飲み機とごはん皿とトイレはそのままにしてあってこれをいつ片付ける気になるかは未知数すぎますがうちに来る人はそのへん突っ込まないでください。

 

最後まで読んでくださった方、長々とありがとうございました。

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没 平成29年7月12日 22:30頃 7歳7ヶ月

会いにいくまでまっててね