それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

(前略)ボドゲにはまっています

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突如ボードゲームにハマっています。今日はボードゲームのどんなところが好きか作文したいと思います。すごく私的な内容なのでつまらないと思いますが悪しからず。

ボードゲームとの出会い

ボードゲームを初めて遊んだのは去年の夏頃だったような気がします。お友達に誘われて、そのお友達の彼が主催しているボドゲ会なるものに顔を出したのが始まりでした。

ボードゲームって、いろいろあるんですよ。ほんとにたくさん。

それで、ボドゲ会っていうのはボドゲ大好きな収集家みたいな方達がいて、そこそこの量のボドゲを持ち寄ってくれている(このIT社会に、めっちゃかさばる箱に入ったアナログゲームを持ち寄ってプレイするというのがもはや逆に新しい)。私のようなパンピーは手ぶらで行けばいい。人数足りなそうな卓の近くで立っていれば入れてくれる。当然のようにどれもまったくルールがわからないんだけど、どの卓にもいい具合に詳しい人がいて、ルール説明を非常に手際よくやってくれる(インストールという)から全然問題ない。一回の説明ではだいたい理解しきれないんだけど「とりあえず一回やってみよう」と言って質問挟みつつやっていく中でいろいろ腑に落ちていくという感じ。

実際にやってみて、「想像と違った」と思ったのを覚えています。想像より、楽しい。というのも、どのゲームも本当によく練られていて、奥が深いんですよ。いろんなゲームがあるけどどれも運要素は必ずあって、強い人でも必ず1位になれるわけじゃないというのがうまいことできている。その運の比率もゲームによって違って、中には運99パーセントという勢いのものもある。個人的には運要素が強すぎるものは「ゲームとして成立していない」という感想なためあまり好まないけれど、そういうゲームも挟みながらやっていくことで遊び方の角度みたいなものがちょっと変わってそれはそれでおもしろいから、トータルで見たらそういうゲームもぜひやりたいと思う。

それからボドゲのおもしろいところはそのコミュニティにある。まず、ネトゲと違ってボドゲはひとりでは遊べない。よって、仲間を増やすことに非常に積極的である。なのでみんな優しい。インストールのときも「こんな簡単なのがわかんないのかよ!」みたいなオーラを出してくる人はいない(もしくはまだ出会っていない)(ちなみにネトゲにはよくいる)。友達の友達、ウェルカムという文化。そして、初めましての人同士がこれと言って名乗ったりせずいきなりボードゲームを囲んで遊び始めるというのもおもしろい。ある意味これはオンラインゲームなどとも似ているかもしれないが、「行きずりの人同士がひとつのコンテンツを囲んで数時間を共にする」というのが引きこもりの私には新鮮だった。結果的に、もう何度も会って一緒に遊んだのに名前を知らない人というのがいまだに普通にいる。というか知っている人もフルネームとかは知らない。私も主催の人に「ニョキニョキ」と呼ばれているゆえにまさか松本という苗字とは知られていないだろう。

(※ですますで書き始めたのに途中からである調になるのはこのブログのあるあるなので許してください)

ボードゲームにハマるまで

面白いなとは思ったけれど最初からすごくハマったわけではなくて、1年くらいたまーにその会に顔を出していたら今月くらいから突如ハマった。何をもってハマったとするかはあれだけれど、具体的に言うとふとした瞬間に「ボドゲやりてー…」と思うようになった。

分析してみたのだが、ボドゲ会に行って、帰るときに、たとえば最初の頃は「ボドゲって奥が深いんだな〜」などの感想を抱いていた。それが次第に「今日、あのゲームでなぜ勝てなかったんだろう」といったようなことを考えるようになっていった。つまり「ボドゲ会」という「イベント」に対する感想ではなく「(勝負という意味での)ゲーム」への所感にシフトしていった。思うに、ボドゲやその界隈のカルチャー?に少し馴染んで、ようやくボドゲ自体に関心が向くまでにこの1年がかかったのではないか。まあ、このプロセスは分析する必要なかったよね。どうでもいいね。

ボードゲームの興味深いところ

ボードゲームは人生に似ている。と、今日思った。まず、出る杭は打たれる。序盤で飛び出してはいけない。残りの3人に潰される。当たり前といえば当たり前だ。ゲームというのは勝つことを目指してやるものだから、いいスタートを切っている人がいれば牽制するのは当たり前体操。だけどこれまで私は「相手を封じることで自分が勝つ」という何かをやったことがなかった。自分が一生懸命やったことといえば受験だけど、自分が高まれば合格できるものであって他の受験生を牽制する必要はなかった。習い事にはバレエなどをしたが、みんなで協力してひとつのものを作り上げるという性質で、誰かをだしぬくというものではなかった。

ボドゲは違う。根底にだますというのがある(事実というより主観です)。手持ちのカードがよかったとしたら、それは極力悟られてはいけないし、めっちゃいいカードが手元にあっても、あえて初めは出さないという駆け引きも必要だ。2番手・3番手を走って、終盤でぱっと1位におどり出る。これしかない。4人とかそれ以上で遊ぶのだから、序盤から先頭を走れば1:3の構図になって絶対に勝ち逃げできない仕様だ。こういう側面が人狼に似ている。何食わぬ顔で出し抜かなくてはいけない。思えば勝負事というのはおおむねこういうものなのだろう。マラソンも、先頭集団にはいなくてはならないが先頭になっては風を受けて疲弊し結果的に先頭を譲ることになると聞いたことがある。考えてみればマリカーなんかそのまんまだ。しょっぱなに先頭に行ってしまうとあらゆるアイテムを使ってあっという間に引き下ろされてしまう。

それから、ボドゲには時に妥協が必要だ。自分との駆け引きとも言えると思うのだけれど、たとえば複数のカードからどれかを引くというシチュエーションで、AとBの2枚のカードで悩んだとする。Aは、もし、この先「ある特定のカード」が出た場合にめちゃ強い。ただ、当然ながら「ある特定のカード」は場に出てこない可能性もあるし、出てきたとしても自分が取れるとは限らない。出てこなかった場合は、Aが全然強くなくて、だったらBの方がマシ、という状況。「ある特定のカード」が出るか出ないかはあくまで確率論というか運の話なのでどっちを選んでも結果によって正解にも不正解にもなるけれども、ここでいろいろ鑑みて十中八九「Bだな…」という選択をするのが私であって、そして私の人生なのである。

人生にはいろいろなタイミングで妥協という選択が訪れる。たとえば第3志望のC社から内定が出て、1週間以内に返事をしろと言われた。だけど第2志望のB社の選考はまだこれからグループ面接というフェーズだ、というときなど。第1志望の会社ならまたわからないが、確実にいける第3志望と、そもそも最終に進めるかどうかすらわからない第2志望だったら、前者を優先する人は少なくないだろう。妥協と言っても前向きな妥協に入るものだとは思うが、ボドゲをしているとなんだかそんなことばかり考えてしまう。

ここで選ばなかったカード、ここで勝負しなかったカード。ボドゲでは、数分後の勝敗を分けるわけだけれど、人生においては数年後の自分の姿を変えることになる。

手元のカードをどうするか。

生かすも殺すも自分次第だと思うと、ものすごく真剣に考える。

そして負けたときは帰りに考える。どうしたら勝てたのか。どこで勝負を間違えたのか。

深いよ…ボードゲーム