それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

Crazily sad incident

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プロレスラーの木村花さんが亡くなってしまった。

公式に発表されているわけではないが、状況的には自殺であることがほぼ確定している。

 

 

すごくショックを受けています。

テラスハウスをずっと見ていました。花さんのことを好きでも嫌いでもないと思っていたけど、訃報を見てすごくショックで、好きだったんだとわかりました。

 

一視聴者に過ぎない存在でこういうことを書くのはおこがましいかもしれないけれど、今日思ったことをここに書き残したいと思っています。

 

多感な時期に「ブス」と言う暴力

テラスハウスを見ていると、他人ながらも出演者のみなさんのことが少しずつわかってくるような気持ちになる。花さんは「気持ちがわかる」と言われるのをいやがっただろうけど、花の気持ちは本当によくわかった。

 

わたしはあんなに魅力的でまっすぐでパワフルではなかったけれど、花ちゃんくらいの年齢のときにおそらく花ちゃんと同じような感情を経験していると思う。

 

それをあえて言語化するならば、異性から認められたいという承認欲求。

 

わたしは二十歳前後は特に恋愛関係での承認欲求をこじらせにこじらせこじらせまくって自殺未遂なんかもしているレベルのいわゆるメンヘラなので、誰か一人が圧倒的に自分を愛して味方してくれるという事実・状況がどれだけ自分を安定させてくれるか、つまり自己肯定感をもたせてくれるかを強く認識している。

 

そしてそんな一人を見つけるのはそう簡単ではない。簡単でなさすぎて、『君の名は』を見て鬱になるレベルだった。

nyoki2.hateblo.jp

 

花ちゃんはほとんど男性経験がなかったらしく、テラハ内でも2度の恋愛はたまたまうまくいくことがなかった。もしも話をしても仕方がないが、もし花ちゃんに今そういう恋人がいたら、誹謗中傷がこんなふうに花の心に深く刺さってしまうことはなかったのではないかと思う。

 

しかも恋愛がうまくいかずに自己肯定感が下がっているときに、見た目のことを誹謗中傷されるのは本当に最悪だ。ブスとか書き込んでいた人たちはなんなんだ。お前は誰なんだほんと。

 

 

コロナ鬱の可能性

そんな状況にコロナが最悪の形で拍車をかけたと思う。

 

花にとって何よりも大切であっただろう、試合の機会を失ってしまった。

 

残念ながら生前に観に行くことは叶わなかったが、あのステージで彼女が一番輝いていたことは想像にかたくない。カイと揉めた際ののやりとりでも、花がどれだけ自分の仕事にプライドをもっているかがよく伝わってきた。

 

恋愛でうまくいかなくても、プロレスラーとしてリングに上がりファンを沸かせ収入を得ることが彼女にとって最大の承認欲求を満たす場だったはずだ。

 

そして、テラスハウスの撮影が中止されたことも悪い方向に転んだと推察する。テラハで受ける誹謗中傷のストレスは、本質的にはテラハのメンバーでしか共有できないと思うが、花はそれを一人で受け止めなくてはいけない状況だった。

 

自衛のため卒業してしまおうにも、撮影が止まっていてそれすらできない。

 

これらによって花は承認欲求どころか、マズローの欲求段階でいう「社会的欲求」すら満たされなくなった。

 

 

そして収入減の件もある。(19日公開だった最新話で、試合がすべて中止になり、収入が激減すると花の口から語られていた。)

 

いつ興行が再開するともわからない状況の中、安全の欲求(経済的な不安とコロナの脅威)までもが満たされない状態に陥ってしまった。

 

「誹謗中傷」は直接的な原因だと思うが、原因のすべてではないのではないか。彼女の死を深く考えようとすればするほど切なく悲しい。

 

 

 

コロナが落ち着いたら、いつか絶対花ちゃんの試合を観に行きたいと思っていました。花ちゃんを観て、女子プロレスおもしろそうだなと興味をもちました。

花ちゃんがテラスハウスに出たおかげで、そういうふうに思った人がたくさんいると思います。

とにかく残念だし、寂しいです。

彼女が苦しみから解放されたことを祈ります。

尊敬を込めて。

R.I.P.

みじめなじんせい。

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思い返せば惨めな人生だった。

 

(※今から死ぬわけではありません)

 

何をしても中途半端で

それでいてそこに対する危機感もなく

社会性は著しく欠如し

生産性のない半生を送ってきた。

 

 

人に会うのも嫌いだし

新しい体験にも興味がないし

本当にいつ死んでもいいやっていう無気力さだった。

 

 

誰の幸せにも害にもならないような

いてもいなくてもわからないような日々だった。

 

 

(少なくとも自己評価はそんな感じだった)

 

 

夫はそんな私に娘というかけがえのない存在を与えてくれた。

それだけは、この世で唯一疑いなく感謝できることだと思う。

 

 

こうなってくると、失うことが怖くなって

いっそ産まなければよかったという感情さえ生まれるわけだけれど

かといって以前の人生に戻るならば

生きる意味はやはり見出せないわけで。

 

 

 

 

生まれてきたことが一番の失敗で

産んだことが一番の成果

 

 

人生っていうのは本当によくわからない。

手作り離乳食は「よいママ」の条件ではない

こんにちは。

 

娘が生後7ヵ月になって離乳食ライフもあれよあれよと3ヵ月目に突入しました。

 

始まる前は不安だった離乳食ですが、蓋を開けてみたらかなりハマっています。自分は結構「ルールの中で継続的に何かをしながらゴールをめざすこと」が好きな性分だし、そもそも料理が結構好きなので、離乳食ストックを作り、それをルールの中で自由に組み合わせて与えながら、少しずつ食べられる食材を増やしていくという行程を、効率的かつ合理的に進めていくというのがかなり楽しいのです。

 

そして暇な主婦なので #ノリニョキ離乳食 のタグで写真をいろいろとアップしておりました。

 

 

しかしこのように鼻息荒く離乳食のようすをツイッターにアップしていると「頑張ってるね!」「離乳食大変そうだね」という声援をいただくことがあり

超がつくほどおこがましいのですが、「わたしのツイートを見て離乳食ってハードル高そうだな…と誤解してしまう人がいたらどうしよう?」という懸念が頭をもたげました。

 

自意識過剰だとは思いますが念のため。

 

 

離乳食はがんばる必要ない!!笑

好きな人が凝ればいいだけ!!!

 

 

むしろ衛生面とか考えたらベビーフードのほうがよいという論調もあるくらいだし、なるべくたくさんの野菜をあげたほうがよいのかとか、いつまでにどのタンパク質を食べさせておいたほうがよいのかとか、そういうこと多分細かく考えすぎなくて大丈夫ですよ。多分。無責任な発言ですが。

 

 

そのような前提のうえで、わたしの離乳食ライフを支える2冊の書籍を紹介したいと思います。

 

(ちなみに区の実施する講習会には行きませんでした、遠くて)

 

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まず左の本は、みーんな持っているやつですが。離乳食の基本のキから学ぶのにぴったりです。

読み物的なページも充実していておもしろいですし、個人的に一番重宝しているのは、こういう素材別のページ。

 

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冷蔵庫を開けて、「この野菜ってもう食べさせていいのかなー?今の月齢ではどういうふうに食べさせればよいのかな?」と何気なく思ったとき、ネットで調べてもよいんだけどやっぱりソースが心配だから、パッと調べられる本があるのは本当に役立つ。

 

離乳食マンネリしてきたなーという人にこそおすすめできる。

 

 

そして離乳食はいかんせん少量なので、フリージングを超活用することになると思うのですが、それに特化した右側の書籍もまじで役に立ちます。

 

こういうふうに、週末に何をどれくらい冷凍すればよいか書いてあって、それをひたすらアレンジして一週間飽きさせずに保たせるよ、っていう本。

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これはね、初期こそ役に立つ!

最初は手取り足取り、この本の通りにやっていけば間違いないし、

だんだん組み合わせやアレンジのコツがわかってくると、この通りじゃなくて「ちょうど冷蔵庫にあの野菜があるから組み合わせ変えてみよう」とか「ストックのバリエーション増やしてもっと新食材をどんどん試そう」とかできるようになる。

その時期であってもアイディア帳というか、引き出しを増やすのに十分活用できるので、本当にビギナーから中級まで幅広く刺さる名著だと思う。

 

ただまあ、監修している栄養士さんによってやっぱりクセはあるので(よし悪しの問題ではなく)、いろんな本を読んでいろんなところで引き出しを作ると、離乳食の幅も広がるなあと感じる次第です。

 

 

これを読んで、いや、めんどくさそっ!こんなん、やりたないわっ!と思った方もいらっしゃると思うんですけど、実際の作業はほぼレンチンしかしてないし、それを包丁で細かくしたり適当にすりつぶしたりしているだけだから、やってみたらちょっとした図工くらいのもんなんですよ、ほんと。

 

 

いやいやちょっとした図工がめんどいねんて、という方は、見てこれ。

 

 

 ベビーフード 離乳食 5ヶ月 頃からの ボリューム セット
Amazon.co.jp


うまそうやろ。これでいいから。安心してください。そしてエセ関西弁を許してください。

 

わたしも結構使ってます、薄皮剥くのめんどいコーンとかは、わざわざ自分でやるより出来合いのほうがお得ですし。個人的にほうれん草なども、茹でるとすごく小さくなってしまって作っても作っても量産できない上に繊維をすりつぶすのが大変だから、買っちゃったほうが効率的、割安という結論に至っています。

 

ただ、にんじんとかポテトとかは手間もかからないし(繊維質でないし柔らかいからすぐに潰せる)、原価安いし量もたくさんできるし、明らかに自作したほうが効率的なので、そういうものに関しては、めんどくさがりな方も自作してみてはどうかな〜?と思ったりします。

 

なんにせよ離乳食への気合いは愛情とはなんら関係ないものだと思うし、得意分野はがんばって、不得意分野は既製品に頼って、楽しく笑顔で育児するのが何よりなんじゃないかなあと思います。

 

 

ベビーが呼んでいるのでこのへんで!

 

(ネタバレ注意)『天気の子』を観て宮崎駿って天才だなと思ったはなし

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こんにちは。

新海誠監督の新作劇場アニメ『天気の子』を鑑賞したぞい。

以前『君の名は』を観たときに「鬱になっちまったよ…」というブログを書いたらいろんな方が読んでくださったので、謎の使命感で今回も感想を書きたいと思うよ。

nyoki2.hateblo.jp

 

結論から言うと、本作は個人的にはあまり刺さらなかった。というか感想としては、『君の名は』の劣化版を見た…とすら思った。

 

おもしろいし映像も綺麗だし音楽もよかったしお金を払う価値は十分にあったと思うけど、『君の名は』のストーリー構成の巧みさと比較すると、視聴後の満足感はかなり低かったと言わざるを得ない。

 

加えて、キャラクター設定に不明点が多く、感情移入が非常に困難に感じた。作品が水だとしたらわたしの精神は油なのかと思うほどに自分の中に内容が入ってこなかった。

 

ここからは内容にがっつり触れていくので未視聴の方は絶対にここで引き返していただきたい。

 

 

 

 

 

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よろしいか?

 

 

 

 

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あのねえ、本作とにかく、よくわからない部分があって、

 

それはあの鳥居はなんなのかとか、飛び込めば誰でも天空に行けるのかとか、えっ人柱って辞退できるの…?とか、あのまま東京は滅びるのかとかそういうSF要素の部分じゃなくて

 

(ていうか『君の名は』でもそうだったけど、なんで時を超えて入れ替わるねんとかなんで気づかないねんとかそういう設定のところはとにかく「気にするな!そういうものだから!」で済ませておけば幸せになれると思っているから考えない)

 

 

主人公である帆高くんの人物像が全然理解できなかったんですよ。

 

 

『君の名は』では瀧くんも三葉も(不思議な力で結ばれているとはいえ)いたって普通の高校生だったじゃないですか。クラスに友人がいて、お互いに家族がいて、三葉は特殊な家に育ってるけど、本人の言動自体はいたって普通の女の子でしたよね。

それに比較すると本作のキャラクターにはいまいち人物像を掴みきれないところが多すぎる。

 

 

まず帆高くんさ……そもそもどうして家出した?

最初は気にならなかったというか、相当ひどい家庭環境かなんかで、その裏返しであの天真爛漫な感じだけど実際は底知れぬ闇を抱えてる系なのかなーと思って見てたんだけど、後半で「失踪届が出ている」となって「あ、ちゃんと探してくれる両親なのね」と思ったし、最後なんか大学に進学するらしき描写がありましたよね。保護観察下に置かれた、ある意味不良少年でも彼を信じることを諦めずに東京の大学にやってくれるような両親……絶対よい人じゃない?なんであんな大規模な家出をしたの?

 

新海監督はあえてそこは明示していないって言ってたけど、確かに明示しなくても違和感を感じさせずに終わってくれるならいいんだけど、めっっちゃくちゃ違和感ありました!

 

 

そして銃を拾ったとき……どうして保有しちゃったの?どうして撃っちゃったの?

1回目は千歩譲ってまだいいよ、2回目は恩人である須賀さんに銃を向けるってどういう心理状態なの?ここは本当に理解ができなかったというか、もはや帆高くんが危険因子にしか見えなかった。自分が正しいと思うことのためならテロリズムもいとわないタイプ?

ほかの方のブログに、「ストーリー上、公権力に追われる構造が必要だったんだろう」と考察してあってなるほどと思ったけど、それで結果的にキャラ設定に違和感出るんじゃだめやん。

みんなあれは、「若さだなあ…」で消化できた? 若さを理由に銃乱射してたら日本の治安終わるけど大丈夫?

 

そりゃ銃保有してたら警察は全力で追いかけるよな…ってどちらかというと警察に共感してしまったし、あの状況で「帆高いっけえええ!!!」という気持ちにはなれない!!

あそこまで商業アニメに寄せているならそこは、こちらの気持ちを振り落とさないで連れて行ってくれる構造にしてほしかった…

 

 

ちなみに、結末はよいと思うんですよ。

その他大勢の幸せよりも、目の前の好きな人を選ぶ。それ自体はなんの疑問もなく受け入れられました。人間、誰しも多かれ少なかれそういう選択をしていると思うし。

でも、その過程で拳銃をむけたということは「好きな人を生かすためなら最悪目の前の人を殺してもよいと思った」ということになり、

それって「その他大勢の幸せよりも、目の前の好きな人を選ぶこと」とはまた別だよなあと。

見て見ぬ振りをするだけじゃなく、能動的に排除するとなると。

そうなってくるとやっぱり帆高くんは相当な闇を抱えていないとつじつまが合わないんですよ。

なんだろう、わたしが納得できるとしたら

父が母に暴力を振るい離婚したが母に経済力がなく公権力によって無理やり引き離され、最悪な父親のもとで虐げられている

とか。

それくらいなら、そこまで目的ありき(手段をいとわない)もしくは攻撃的な態度をとるということも腹落ちするというか、「今度こそ!!何が何でも!!この手を離したくないんだぁああ!!」って銃を構えたら、こちらも泣いてしまうかもしれない。

 

 

…とにかく人物に感情移入できないと、どうしてもストーリーに深く入っていくことができない。「置いていかれる」という表現がこれ以上ないくらいぴったりだ。新海監督よ、そこのところどう考えているのだ…?

まあ思うのは、新海監督は過去作品においてストーリー自体は結構あっさりしているんですよね。シンプルというか。それがある意味新海節でもあったと思うんだけど。

うわあこれはストーリーテラーだなあって作品は『君の名は』が初めてだった気がするのでそういう意味では、元に戻ったという感じもありますね。

 

 

次の議題は、スケール感。

これも『君の名は』と比べると、だいぶ控えめに思えました。良し悪しはともかくとして。

 

クライマックスシーンを比較してみたいと思います。

 

【ヒロインとの別離】

天気の子:神隠

君の名は:死別

 

【もう一度会うために…】

天気の子:代々木の鳥居をくぐる

君の名は:飛騨高山まで行き、曖昧な記憶を頼りに場所を割り出し、登山を敢行した上で口噛み酒を飲み、時空を超え、かつ中身も入れ替わる

 

【再会後の展開】

天気の子:手を繋いで落下後、逮捕されるも数年後普通に再会

君の名は:村を救うべく作戦を立て奔走、ヒロインは自らの殻を破り父とともに村を救う、しかしせっかく思いが通じ助かったというのに記憶はどんどん薄れ、誰かを探しているような気持ちだけが残りそして…

 

 

え、比較の仕方に悪意がある?笑

 

いえわたしは天気の子をディスっているのではなく、『君の名は』って神作品だなって言っているんです。

 

 

 

 

あとさ、本作ってヒーローとヒロインのパワーバランスが悪すぎると思いませんか?

 

『君の名は』では、(宮水家という家系に生まれた三葉のほうが特殊性は高いですが、その三葉が選んだ相手が瀧であり、)お互いに「結びの力」を頼りに時空や生死すら超えてつながり、ふたりで協力して村の危機に立ち向かいますよね。この二人の関係性は対等だと感じたんです。

 

その点、本作で特殊能力をもっているのってヒロインである陽菜さんだけで、帆高くんは横で傘をしゃんしゃんやっていただけ。そして陽菜さんだけがみんなの願いを叶えてお空にいってしまった。パニクった帆高くんがしたことは警察からの逃亡と線路への不法侵入と銃の乱射と……っていやいや、社会性の差よ。

 

 

 

いやむしろ、帆高のほうが普通であって、ヒロインが出来過ぎていると言ってもよい。

 

15歳にして、彼女がしばしば見せるのは母親的な立ち振る舞い。凪の母親代わりをしているという設定もあるし、帆高を家に招いて、その場で与えられた材料を小粋にアレンジして調理し振る舞う力量はまさに母親のそれですよね。

 

そもそも18歳と嘘をついたのも、帆高に対して本能的に母性を発揮したんじゃないかなと。

 

 

陽菜はいわば、“ 利他愛の象徴 ”だと思います。文字通り自らの身を犠牲にして、みんなを笑顔にするために、天気にするために消えてしまったのだから。

 

 

そんな彼女に「自分のために生きろ!」と言えたのは帆高が普通だったから(つまり人間は普通は利己愛に生きるものだから)なんだよね。

そしてそういう「普通の人間」が世界を変えることもあるっていうのはひとつのメッセージなのかもわからないですね。

 

 

 

共感できるポイントもたくさんありましたよ。

一番は、

「神様、お願いです、僕たちに何も足さず、何も引かないでください」(うろ覚え)

というもの。

この瞬間がずっと続けばいいのに、と思うことありますよね。でもそんなことは基本的には不可能で。その儚さ、諸行無常さは身に迫るものがありました。

特に未成年のうちは、自分の人生の舵をとることもままならず、もどかしい思いをたくさんしたなあって。自立したいという気持ちがから回っていた当時を思い出してなんだかこそばゆい気持ちになりました。

今なんかへたすると鼻で笑っちゃうけど、穂高が「俺が働くよ!ずっと一緒にいよう!!」って前のめりで陽菜に言うシーンは、彼なりに本気で言っているんですよね。心から。若さってそういうものだったなって。ここはじーんときましたね。

 

 

 

16歳の感情をこんなふうにみずみずしく描写できるのは、新海監督のすごさだと感じます。しかも、もし新海監督がこのお話の20年後を描いたとしたら、穂高くんは平気で「人生そんなに甘いものじゃない…」とか言うと思う(笑)。新海監督は年齢別の感情の引き出しを頭の中に飼っているのかな。普通の人は「いま」以外の感情は忘れちゃうんですけど。

 

 

内包されているテーマも示唆的でした。貧困、搾取、代償…。東京という街で、離島からやってきたある意味真っ白な帆高と、利他愛の象徴的存在である陽菜が身を寄せ合って生き抜こうとする。世の中の不条理ややるせなさと同時に描かれているからこそ、まっすぐな愛がここまで眩く映し出されるのだと思ったし、もちろんそこにある圧倒的な映像美がこの作品を神格化といえるところまで押し上げていると感じた。

 

誰かがツイッターで書いてたけど、スポンサーであろうヤフー知恵袋ではろくな回答がかえってこないし、バニラの宣伝車が走ってるわきでヒロインは売春しそうになってるしで、さわやかなストーリー展開の裏で皮肉が効いていましたよね。

 

 

 

それから凪くんのキャラクターは天才的だった。

THEアニメの登場人物。

状況をほどよく動かして、ほどよく笑いをとる。特に「元カノ」を使って身代わりになってもらうシーンはアニメ的な演出で、この作品がエンタメ作品だと思い出させてくれるよいシーンだった。四葉もそうだったけど、どうもヒロインのきょうだいは重要な役割を担うな。

 

 

なんにせよなんと言うべきか、意図的なのか『君の名は』に似ている部分が多く(ナレーションの「それはまるで…!」は既視感しか呼ばない)、それが新海アニメだから共通点があるのは当たり前でしょと思うかもしれないしそれは否定しないが、

 

このまま行くと、なんかもう「ワイルドスピードシリーズ」みたいなことになりません…?

 

敵と舞台が変わるだけで内容はほぼ同じみたいな。彗星、気象ときたらこのあとは海でしょ?みたいな。

 

でも新海監督って結構視聴者の存在を強く意識した発言が多くみられるから、

「新海アニメを観に行けばこういう作品が見れる」という安心感を与える、ミスチル戦法でいくのかなあ。

 

でもなんか、今後もこのまま中身だけを変えてずっと「なにもかもを凌駕して求め合う男女のまっすぐな愛」というテーマを描き続ける限り、

「『君の名は』と比較すると〜」という言説は永遠に続いてしまいそうだし、正直集大成ともいえる『君の名は』を同じベクトルで超えられるのか?という素朴な疑問が拭えないんですよね。余計なお世話ですけどね本当に。あくまで個人的な感想です。

 

 

その点、「ナウシカ」「ラピュタ」「もののけ姫」「千と千尋」を生み出した宮崎駿氏、やっぱり天才なんだなと思った。女性のたくましさを描いているのは共通しているけど、物語の奥行き、それぞれの目新しさ、キャラクターのカリスマ性など群を抜いていて孤高の存在だなと。

 

 

別に新海監督と宮崎監督を比較したいわけじゃないんだけど、改めてふと思ったっていう、それだけです。

 

 

すっごく急いで書いたのでぐちゃぐちゃですが、今後もちまちま手を加えてそのうち整うようにしていきます。

 

一応誤解のないように書いておきますがわたしは新海監督のファンと言っても差し支えない個人であり、ご本人や作品を貶める意図はまったくありません。くどいようですが、あくまで感想の備忘録です。

読んでくれてありがとうございました。

そして次回作も楽しみに待っています!

 

 

最終更新日 2019/8/1 10:49

 

別れるということ

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本当は文筆家・佐々木ののか氏の作品のオマージュみたいな形で「離婚と内省」というタイトルにしたかったが、わたしの薄っぺらい文章ではオマージュというより「安易にパクった感」を醸し出してしまいそうなのでやめておいた。

なんにせよ気持ち的には、まさにこれは内省。

夫はひとつの物事を深く考えるタイプではないため、わたしがあれこれ思考を伝えようとしても全部「急にどうしたの?」という一言で片付けられてしまう。だからここに書くことによって、今回の一件については自分の中で整理をつけたいと思っている。

 

 

たった一年の結婚生活。

短すぎるということに異論はないけれども、わたしはもう幕を引きたいと思っている。

 

 

理由は、一言で言うなら、夫の育児への不参加。

もう少し具体的に言うと、家族であろうとする努力をまったくしてくれない夫に疲れた。

 

 

残業もほとんどなく19時過ぎには帰宅するし、土日祝はずっと家にいるが、育児の補助をしてくれることは皆無に近い。

娘が生まれてからの半年間で、オムツを変えた回数は10回に満たない。

なお、うんこを処理してくれたことは0回。夜間の世話を代わってくれたことも0回。だっこしてあやしてくれたことも0回。寝かしつけも当然0回。お風呂に入れたのも着替えを用意したのも0回。離乳食作りもあげたことも0回。

必要なものを買ったり考えたり、小児科に連れて行ったり、保育園について調べたり申し込み書類作ったりなんてことも、もちろん手伝ってはくれない。

 

 

育児に参加してもらうための努力も、自分なりにしたつもりだ。

 

 

ルールやtodoが決まっていたほうが動ける夫のために、お風呂のときはこういう役割分担をしたいとノートにまとめて解説したこともある。

しかし「それくらい自分でやったほうが早くない?俺いる意味ある?」と言われて結局一度も実践してくれたことはなかった(というか数日後にそのノートの存在を忘れられていた)。

「泣いているけど、いま手が離せないからあやしてくれる?」と言ったときは「よだれがつくのが怖いから無理」と言われた。

「哺乳瓶洗って」と言うと3回に1回くらいは「あとで」と言われそのまま忘れ去れれるので、あまり頼まなくなった。

 

 

 

育児に参加する、しないという次元を超えて、もはや彼の世界にわたしとベビーは存在していないに近いと思う。

 

 

たとえば、おなかをすかせて泣き叫ぶベビーの横で、わたしが離乳食にミルクに…と大慌てで準備しているとき、夫は別室でゲームに夢中。彼はヘッドフォンをつけていて、カチカチカチカチ…とコントローラーを操作する音だけがこちら側に聞こえてくる。

 

 

 

わたしたちのことを「妻子」としてではなく、「縁あって居住をともにしている親子」と認識しているとしか思えない。さもなくばこんなことになるだろうか…?いや、ならない。

 

 

***********

 

 

 

この半年間。

 

娘の成長を喜ぶのも、娘の不調を心配するのも、自分ひとりだった。肉体的にきついというより、精神的に孤独だった。

 

うまくいく日もあったし、爆発する日もあった。

この孤独を理解してほしくて、寄り添ってほしくて、助けてほしくて、泣きながら何度も何度も訴えた。でも夫はそんなわたしを(ヒステリーだなあ)と言わんばかりの冷たい視線で見つめるだけで、行動を変えてくれることはなかった。

 

それどころか、「育児が趣味じゃないの?」「そういう言い方すると、育児したくないみたいに聞こえるから、気をつけた方がいいよ」と言われたこともある。

育児は好きだし、楽しい。でも、一人でもうすぐ200連勤を迎えようとしているわたしに、どうしてそんなことが言えようか。

 

 

彼からのトドメの一言はこうだ。

「うち(実家)では子育ては母親がするものだったからなあ」。

 

 

何度も、もう無理だと思った。

仕事に復帰すればなんとか一人は養っていけるだろうし、こんな想いをするくらいならいっそ離婚したいと100回思った。

しかし彼への愛情を捨てきれず、また彼に無邪気に笑いかける娘の様子を見て、ずるずると決断を先延ばしにしてきてしまった。

 

 

 

だって、彼と楽しい時間を過ごせることも少なくなかったから。

 

彼の作った夕飯を食べながら、職場での出来事を聞く時間が好きだった。

一緒にテラスハウスを鑑賞したり、アニメを見てあーだこーだ言って笑うのが好きだった。

一緒にスーパーに行き、「なにかお菓子買う?」と聞いたとき、わたしの好きなお菓子を手にとってくれる彼が好きだった。

シャンプーを選ぶとき、一緒にいろんなサンプルをかいでみて「これにしよう!」と決めるのが好きだった。

いやなことがあったときも、「そんなの気にしないでいいじゃん」と飄々と言ってくれる彼が好きだった。

こういう名もなき、当たり前の幸せを手放すことがこわかった。

 

みんなも共感してくれるでしょう。ね。

良いこともあれば悪いこともある。それが人生だし、人間関係というものだから。

別れようと思えば、いつだって別れられる。それが今なのか、今じゃないのかを見定めるのは、誰にとってもとても難しい。

 

 

********

 

 

もう終わってるんだと理解したのは、ほんのおとといのことだ。

 

いつものように爆発して泣いているわたしを前にして、「じゃあ俺、あっち行ってるからね」と言い、部屋に行ってゲームを始めてしまった。

 

わたしは愕然とし、その後なんだか笑えてしまった。

 

世の中には努力でどうこうならないことがある。

「人を変える」というのもそのひとつ。

しかし努力で変えられるのは「自分」であって「他者」ではない。

そこでようやく、「彼と家族になることを諦めよう」と決心できた。

わたしが、変わるべきだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

**********

 

 

幸か不幸か、痛みや寂しさをなんとか紛らわしていく技術は、これまでになんとか身につけてきた。

ひとつ有効な手段としては、先回りして備えることだ。

どんなときにつらくなるかを知っていれば、心の準備をすることができる。

 

たとえばスーパーでほうれん草を見て「彼は本当にほうれん草が好きだったなあ」などと思わないこと。

彼の大嫌いなきのこをかごに入れながら「これからは好きなだけ食べれちゃうんだなあ」などと思わないこと。

テラスハウスは二度と見ない。

お台場なんて死んでも行かない。

そうしたらあとは時間が解決する。問題ない。

 

 

だからわたしは彼と別れることに決めた。

そして彼が家を出るその日までなるべく彼と仲良くすごし、笑顔で送り出すのが目標だ。

 

 

彼には、自分のやりたいことを絶対に譲らないという芯の強さがある。

家族を作ることには向いていなかったかもしれないが、彼が彼の人生において幸せでいるためにはなかなかの強みになるだろうと思う。

この別れが、互いによりよい未来に続くことを祈っているし、きっとそうなるだろうと今は思えてならない。

幸せな家族とはいかなるものか

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今日も、することがないのでブログを書いている。

娘を出産してから早6ヵ月。5ヵ月を過ぎたあたりから一日のタイムスケジュールがおおむね確立され、夜もぐっすり朝まで寝てくれるため、だいぶ手がかからなくなった印象だ。

初めての体験の連続で、出産直後はあんなにてんやわんやだったのに、今では娘を「娘」と言うことや、「お母さん」と呼ばれて反応することにすっかり慣れてしまった。

しかし夫との関係性はそう簡単には、こなれてこない。

彼と(ネトゲで)知り合って2年10ヵ月、初めて会ったときからほぼきっかり2年、付き合ってから1年と4ヵ月、同棲してから1年と3ヵ月、結婚して1年と1ヵ月である。

 

過去に一番長く付き合った人との交際期間は6年弱であったが、「会っている総日数」は果たしてどちらのほうが多いだろうか。6年付き合った彼と、1年3ヵ月ほぼ毎日顔を合わせている夫、どちらのほうがわたしは深く理解できているのだろうか。

 

***

 

最近、「幸せな家族」とはいかなるものか考えている。

笑顔が絶えないとか

お互いを思いやる気持ちがあるとか

記念日を毎年祝うとか

悲しいときは寄り添い、嬉しいときには2倍喜ぶとか

はたまた、それぞれが我慢することなく自分の人生を生きているとか

最近だと契約のような結婚の形もあって、それも幸せな家族をめざしたひとつの形なのかなと思う。

家族の数だけ「幸せの形」は違うのかもしれないが

正直、答えがほしいと思うときがある。

その答えをめざせばよいのだという、単純明快な答えが。

チェックリストがあればなおよい。

「10個中、7個以上にチェックがつけば、あなたたちは幸せです!」

みたいなね。

しかしそういう、固定観念に当て込むような「幸せ」というのは現代においてはそれはもうめちゃくちゃに嫌われているし(たとえば、結婚して子供をもつのが幸せとか)、わたしも別にそういうものを賛美したいわけではないのだが、

深夜にひとり孤独を感じたとき、わたしの幸せってどこにあるんだろうとひとりごちたことも少なくなく、何も考えたくない頭で、誰かにジャッジをくだされたいという気持ちが募るのである。

 

***

 

それはそれとして「幸せ」は、性質としては「新たに手に入れるもの」ではなく「現状から見つけ出すもの」であると考えたほうが本質であることは間違いがない。

冷静に考えてみれば、他者にリストを差し出される間でもなく、今おかれた自分の状況にどのような「幸せ」があるかを考えてみることは簡単だ。

となると、今おかれた自分の状況がどういった側面で幸せと言えるか考えてみようという気になる。

今回検討したいのは「幸せな個人」ではなく「幸せな家族」であるので混同しないよう気をつけなくてはならないが、家族は個人から成るものであるため、さしあたってわたしの状況を確認してみることにする。

 

まず、家族と家がある。特に血を分けた存在というのは、想像以上になんだか自分に力がみなぎる存在で、摩訶不思議である。おそらく、これは世間一般としても幸せ指数は高いほうだろう。

次に、仕事がある。基本中の基本だがありがたいことである。高給でもないがホワイト企業だし、なんと言ってもやりたい仕事につけている。これも恵まれたことだという自覚がある。

そして友人関係も極めて恵まれている。一貫校で小学校〜高校をともに過ごした友人たちとはライフステージが変わっても変わらぬ関係が継続しているし、趣味の友達、バイト時代の友達、大学時代の友達など大事な人を挙げたら両手の指をなん往復する必要があるか…。時に当たり前の存在に思ってしまいそうであるが、彼女たちの寛容さや聡明さには感謝するばかりである。

…と、こう書いているともはや嫌味の域に達してしまいかねないが、前述の通りあくまでこれはわたし個人の状況である。

 

次に、夫について。

やはり、家と家族があること。しかしわたしには、夫がこの項目を「幸せな事象」として認識しているか懐疑的である。というのも夫は若干二十歳。これらを「安定」と捉えるにはいささか若過ぎて、「枷」としての認識が上回っている…可能性は極めて高い。しかし定かではない。とにもかくにも彼のことがよくわからないのだ。

ここは「家族としての幸せ」を検討するに当たっては土台の部分であり、ここが揺らいだ時点でこの話が終了してしまう気もするが、ひとまず続けさせていただく。

次に、仕事もある。しかもわたしから見るとなかなかのホワイトだ。長い目で見たときにどうなのか…というところまでは測りかねるのだが、危険でなく、おおむね定時で帰れる、ボーナスも出るので個人的にはよいと思っている。しかし彼はとにかくやめたいらしい。やりがいが感じられないという。

人生においてかなり長い時間を過ごすことになる職場なので好きにしたらよいと思う一方で、昨年の秋にも同理由で衝動的に仕事をやめており、一カ月以上ニート生活をしていたため、あれの再来は勘弁という気持ちでいる。

友人は気のおけない仲間が何人かいるようだが、結婚を機に東京に出てきてから、以前ほどはきらくに遊べない状況である。

つまり夫にとっては、現況に幸せ要素がどうにも少ないようである。

 

「家族と家と仕事がある」

 

同じ条件のもとでそれを幸せに感じられる妻と、幸せに感じられない夫がいたら、果たしてその家族は「幸せな家族」なのかそうでないのか。

少なくとも数学の世界では+と−をかけると−になる。

 

***

 

 

彼は(わたしにようやく購入を許された)ゲームに夢中で、わたしは毎晩娘を寝かしつけたあと、ひとりでPCに向かったりNetflixを見たりして時間を潰している。そして適当な時間に寝室に向かい、昨日と同じ今日を終え、今日と同じ明日を迎える。

 

大きな不満はあるだろうか。

具体的に、こうなればよいのにという願望はあるだろうか。

いや、ない。

ないというか、「あると言うほどはない」というか。

わたしと彼はあきらかに凸凹で、いくつかのことを補い合えるけれども、肝心なところにぽっかりと溝が空いているように思える。

 

 

 

 

わたしは幸せな個人である。

 

 

 

しかし、幸せな家族だろうか。

英語面接の思い出

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これまでに英語面接を3回受けたことがあるんですけど、それぞれがすごく深く記憶に刻まれているのでちょっと書いてみようかな。

何か書きたいなあと思って苦し紛れにこの題材を選んだだけなので、特に有益な情報はないと思うんですけど、ただの思い出ね。

 

英語面接って、受ける機会がある人とない人はぱっくり分かれそうだけど、外資系ではなかなか避けては通れないですよね。

わたしはインターンシップで一回、就活で一回、転職活動で一回受けました。

自分のスペックとしては

・海外留学経験なし
・英文系の学部を出ているわけではない
・もちろん両親ともに日本人
・幼少期から英語教育を受けていて…とかもなし

何が言いたいかというと、わたしの英語力は完全に受験英語だけで培ったものなので、コミュニケーション向けの英語は特に訓練する機会がありませんでした。TOEICは机上の勉強だけで900とりました(W・Sは未受験)。

 

CASE1:外資系企業のインターン

特に伏せる必要がないと思うので書くけれども、初めて英語面接を受けたのはアドビのインターンシップでした。そして結論からいうとこれは通過しました。

 

応募への返信がすでに英文メール。一次面接が人事面接で、面接官は人事マネージャー(外国人)と人事担当者(日本人)の2人でした。

日本で働いている以上この外国人の方も日本語は堪能なはずなのですが、面接は普通に英語で始まりました。そして精神的に心の拠り所であったはずの日本人の方ですが、超がつくバイリンガル(わたしからしたら実質ネイティブ)でした。

なんだろう、わたしだけかわからないですけど、外国人相手にたどたどしい英語を披露するより、ほぼネイティブの日本人の前でたどたどしい英語を披露するほうが精神的につらい笑

しかしこの「ネイティブのような日本人」というのはこの先の英語面接で毎回登場したので、外資系にはこういう人たちが働いているのか…という新鮮な驚きに変わりました。

前述の通りわたしはコミュニケーションとしての英語をまったく習得できていないので結構ひどいものがあったと思いますが、オーソドックスな想定問答は回答を作っていったし、おふたりともこちらの英語を一生懸命理解しようというスタンスで話してくださったので、割とつつがなく終わりました。

 

ちなみにこのサマーインターンの内容は、営業チームのアシスタント部でのサポート業務でした。ものすごく平たく言うと雑用です(もちろん悪い意味ではない)。

ボスが外国人なのでそのコミュニケーションのために最低限の英語力が求められていたのかな?多分。

 

二次面接はアシスタント部のマネージャーがいらして、こちらは日本人で日本語面接だったので天国のように感じました笑

ここで2カ月のインターンシップをさせていただき、外資企業の雰囲気を知ることができたのはとても学びになりました。まあなんというか外資系企業は……よく言われることですけど本当にドライです。良くも悪くも。集団ではなくインディビジュアル。合う・合わないはかなり分かれると思いますね。

 

あと最終日に、一年分のCreative Cloudのアカウントをプレゼントしてくれました。これは嬉しいよ。

 

CASE2:日系企業の英語を使うポジションの新卒採用

これほんと思い出したくない(笑)。

広告制作プロダクションであるAOI Pro.です。ポジションはグローバルプロダクションマネージャーで、内容はサイトから引用すると

「グローバルビジネス部」とは、主に外資系クライアント・広告会社等を対象に日常的に外国語を使いながら制作進行管理を行う部署。「制作部」との違いは、制作過程において海外や外国人スタッフとのコミュニケーションを要することです。あらゆる国の文化の違いを理解し、柔軟に対応する能力と高度な英語力(TOEIC900点以上が目安)が求められます。具体的な仕事パターンは3つあります。

①海外スタッフ(監督、カメラマン、キャストなど)を起用する場合に、そのスタッフの提案・契約・アテンドなどの業務を行う。

②日本のスタッフが海外で撮影をする場合、現地のコーディネーターと連携してスタッフをアテンドする。

③海外スタッフが日本で撮影する際のコーディネート業務(手配・調整等)を行う。

こういうもの。これは、一次面接で落ちました。

グループ面接だったのですが、予告なく英語質問が飛んできたので豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔していたと思いますわたし(笑)。

しかも一緒に受けていたみなさんが全員ハーフでまあ堪能なこと! 帰り道に落ち込んでいたらその中のひとりに「でもゆっくりの英語で聞き取りやすかったですよ?」となぐさめられました。いやつらすぎるだろ。

やりたい仕事をするために英語を使うならいいけど、英語を使う仕事がしたいのだったらもっと猛勉強が必要だと理解しました。というかこの2つを混同していたので、別々に考えることができたのはひとつの収穫でした。

 

CASE3:グローバルな事業をおこなう日系企業中途採用

こちらもメールから英文でした。人事は外国人と日本人のふたり体制。

面接官は配属予定部署のボスとマネージャーで、それぞれ外国人と日本人でした。日本人の方も非常に英語が堪能で、ふたりは普通に英語で会話していました。

「面接は英語と日本語でおこなわれます」との案内でしたが、本当にそのまんまで、前半30分が英語で、後半30分が日本語でした。前半はふたりから質問され、後半は日本人の方から質問されました。外国人の方は日本語が得意でないということで、後半のほうはまったく聞いているようすがありませんでした。

英語面接について、用意していた想定問答は大丈夫でしたが、やはり中途採用ということもあり今回はスキルについてや過去作品について少し踏み込んだ質問があり、そういうときは英語がかなり足を引っ張りました。2つくらいの質問については許可をとって日本語で回答させていただいたくらい。

でも本当におふたりとも、しっかり耳をかたむけてくださって、こちらも頑張って伝えようという強い意思を最後までもつことができました…。

もし、「何言ってんだこいつ…?」って顔されたら心折れていたと思います(笑)

この結果はおいおい。

 

英語が堪能でなくても英語面接は受けられる

英語で質問されて英語で答える…。個人的には英検の面接以外こんな機会は全然なくて、毎回本当に心底「どうしよう…」という気持ちで面接に向かいます。

わたしはリスニングがなぜか得意なので、とりあえず何を言っているか、聞かれているかは問題なく理解できるというところが最大の救いです。あとはなんとかして答えるだけです。

どうやって答えるかというと、想定問答です。

面接でよく聞かれる質問リストを日本語で作り、その答えを英語で作っておきます。そしてこれを覚えようとします。

わたしはぶっちゃけ、覚えられないのですが、「覚えようとした」くらいのほうが自然な英語になるので、いつもうろ覚えでいきます(冗談みたいだけど、丸暗記すると本当に朗読みたいになる)。

このときの英作文の切り貼りで、質問の7割くらいには答えられます。

残りの3割はもう気合いで乗り切ります。

もし質問の意味がわからなかったら"Sorry, I coudn't understand."とか、うまく説明できない!と思ったら"Could I answer in Japanese? I'm afraid but it's very difficult for me to explain in English."とか、さっさと言ってしまったほうがよいと思います。しどろもどろになっている時間に面接官と自分の間に流れる空気は本当にしんどいです(笑)。

 

ちなみに、3回の面接のうち2回で"How did you study English?"と聞かれました。わたしがしどろもどろすぎるせいか、よくある質問なのかわかりませんが、"By myself"と答えると必ず"Wow, nice!"的な、フレンドリーなリアクションをもらえます。

よくも悪くも「どうりでたどたどしいと思った」という感想を与えているとは思うのですが、「自助努力できる人なんだな」という印象もまた与えられているのではないかな?と思います。多分…

 

演奏もそうですけど、自信がなくても堂々としていることが肝要だなと思います。結構小心者なので始まるまではめちゃくちゃドキドキしているのですが、始まったらもう「ええいままなれ!」精神でニコニコしているようにしています。

英語をメインで使う仕事の場合はシビアに英語力が見られると思いますが、「業務自体に英語は関係ないが会社都合で英語を使う機会がある」くらいのポジションであれば、「最低限のコミュニケーションが英語でとれるか」を確認しているだけにすぎません。

とにかく落ち着いて質問を理解し、返事は簡単な単語をつなげるだけでも「伝えたいことを伝える」ことに注力すればオーケーだと思います。

最後は人懐っこい笑顔で"Thank you very much!"と言っておきましょう。終わりよければすべてよし的な雰囲気にもっていくことができます(本当か)。

 

英語全然自信ないのに英語面接受けることになっちゃたよ…という方の参考になれば。