それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

(前略)ボドゲにはまっています

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突如ボードゲームにハマっています。今日はボードゲームのどんなところが好きか作文したいと思います。すごく私的な内容なのでつまらないと思いますが悪しからず。

ボードゲームとの出会い

ボードゲームを初めて遊んだのは去年の夏頃だったような気がします。お友達に誘われて、そのお友達の彼が主催しているボドゲ会なるものに顔を出したのが始まりでした。

ボードゲームって、いろいろあるんですよ。ほんとにたくさん。

それで、ボドゲ会っていうのはボドゲ大好きな収集家みたいな方達がいて、そこそこの量のボドゲを持ち寄ってくれている(このIT社会に、めっちゃかさばる箱に入ったアナログゲームを持ち寄ってプレイするというのがもはや逆に新しい)。私のようなパンピーは手ぶらで行けばいい。人数足りなそうな卓の近くで立っていれば入れてくれる。当然のようにどれもまったくルールがわからないんだけど、どの卓にもいい具合に詳しい人がいて、ルール説明を非常に手際よくやってくれる(インストールという)から全然問題ない。一回の説明ではだいたい理解しきれないんだけど「とりあえず一回やってみよう」と言って質問挟みつつやっていく中でいろいろ腑に落ちていくという感じ。

実際にやってみて、「想像と違った」と思ったのを覚えています。想像より、楽しい。というのも、どのゲームも本当によく練られていて、奥が深いんですよ。いろんなゲームがあるけどどれも運要素は必ずあって、強い人でも必ず1位になれるわけじゃないというのがうまいことできている。その運の比率もゲームによって違って、中には運99パーセントという勢いのものもある。個人的には運要素が強すぎるものは「ゲームとして成立していない」という感想なためあまり好まないけれど、そういうゲームも挟みながらやっていくことで遊び方の角度みたいなものがちょっと変わってそれはそれでおもしろいから、トータルで見たらそういうゲームもぜひやりたいと思う。

それからボドゲのおもしろいところはそのコミュニティにある。まず、ネトゲと違ってボドゲはひとりでは遊べない。よって、仲間を増やすことに非常に積極的である。なのでみんな優しい。インストールのときも「こんな簡単なのがわかんないのかよ!」みたいなオーラを出してくる人はいない(もしくはまだ出会っていない)(ちなみにネトゲにはよくいる)。友達の友達、ウェルカムという文化。そして、初めましての人同士がこれと言って名乗ったりせずいきなりボードゲームを囲んで遊び始めるというのもおもしろい。ある意味これはオンラインゲームなどとも似ているかもしれないが、「行きずりの人同士がひとつのコンテンツを囲んで数時間を共にする」というのが引きこもりの私には新鮮だった。結果的に、もう何度も会って一緒に遊んだのに名前を知らない人というのがいまだに普通にいる。というか知っている人もフルネームとかは知らない。私も主催の人に「ニョキニョキ」と呼ばれているゆえにまさか松本という苗字とは知られていないだろう。

(※ですますで書き始めたのに途中からである調になるのはこのブログのあるあるなので許してください)

ボードゲームにハマるまで

面白いなとは思ったけれど最初からすごくハマったわけではなくて、1年くらいたまーにその会に顔を出していたら今月くらいから突如ハマった。何をもってハマったとするかはあれだけれど、具体的に言うとふとした瞬間に「ボドゲやりてー…」と思うようになった。

分析してみたのだが、ボドゲ会に行って、帰るときに、たとえば最初の頃は「ボドゲって奥が深いんだな〜」などの感想を抱いていた。それが次第に「今日、あのゲームでなぜ勝てなかったんだろう」といったようなことを考えるようになっていった。つまり「ボドゲ会」という「イベント」に対する感想ではなく「(勝負という意味での)ゲーム」への所感にシフトしていった。思うに、ボドゲやその界隈のカルチャー?に少し馴染んで、ようやくボドゲ自体に関心が向くまでにこの1年がかかったのではないか。まあ、このプロセスは分析する必要なかったよね。どうでもいいね。

ボードゲームの興味深いところ

ボードゲームは人生に似ている。と、今日思った。まず、出る杭は打たれる。序盤で飛び出してはいけない。残りの3人に潰される。当たり前といえば当たり前だ。ゲームというのは勝つことを目指してやるものだから、いいスタートを切っている人がいれば牽制するのは当たり前体操。だけどこれまで私は「相手を封じることで自分が勝つ」という何かをやったことがなかった。自分が一生懸命やったことといえば受験だけど、自分が高まれば合格できるものであって他の受験生を牽制する必要はなかった。習い事にはバレエなどをしたが、みんなで協力してひとつのものを作り上げるという性質で、誰かをだしぬくというものではなかった。

ボドゲは違う。根底にだますというのがある(事実というより主観です)。手持ちのカードがよかったとしたら、それは極力悟られてはいけないし、めっちゃいいカードが手元にあっても、あえて初めは出さないという駆け引きも必要だ。2番手・3番手を走って、終盤でぱっと1位におどり出る。これしかない。4人とかそれ以上で遊ぶのだから、序盤から先頭を走れば1:3の構図になって絶対に勝ち逃げできない仕様だ。こういう側面が人狼に似ている。何食わぬ顔で出し抜かなくてはいけない。思えば勝負事というのはおおむねこういうものなのだろう。マラソンも、先頭集団にはいなくてはならないが先頭になっては風を受けて疲弊し結果的に先頭を譲ることになると聞いたことがある。考えてみればマリカーなんかそのまんまだ。しょっぱなに先頭に行ってしまうとあらゆるアイテムを使ってあっという間に引き下ろされてしまう。

それから、ボドゲには時に妥協が必要だ。自分との駆け引きとも言えると思うのだけれど、たとえば複数のカードからどれかを引くというシチュエーションで、AとBの2枚のカードで悩んだとする。Aは、もし、この先「ある特定のカード」が出た場合にめちゃ強い。ただ、当然ながら「ある特定のカード」は場に出てこない可能性もあるし、出てきたとしても自分が取れるとは限らない。出てこなかった場合は、Aが全然強くなくて、だったらBの方がマシ、という状況。「ある特定のカード」が出るか出ないかはあくまで確率論というか運の話なのでどっちを選んでも結果によって正解にも不正解にもなるけれども、ここでいろいろ鑑みて十中八九「Bだな…」という選択をするのが私であって、そして私の人生なのである。

人生にはいろいろなタイミングで妥協という選択が訪れる。たとえば第3志望のC社から内定が出て、1週間以内に返事をしろと言われた。だけど第2志望のB社の選考はまだこれからグループ面接というフェーズだ、というときなど。第1志望の会社ならまたわからないが、確実にいける第3志望と、そもそも最終に進めるかどうかすらわからない第2志望だったら、前者を優先する人は少なくないだろう。妥協と言っても前向きな妥協に入るものだとは思うが、ボドゲをしているとなんだかそんなことばかり考えてしまう。

ここで選ばなかったカード、ここで勝負しなかったカード。ボドゲでは、数分後の勝敗を分けるわけだけれど、人生においては数年後の自分の姿を変えることになる。

手元のカードをどうするか。

生かすも殺すも自分次第だと思うと、ものすごく真剣に考える。

そして負けたときは帰りに考える。どうしたら勝てたのか。どこで勝負を間違えたのか。

深いよ…ボードゲーム

就職した話

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アメショを2にゃんお迎えして今日も生きています。こんばんは。

突然ですが就職しました。

14ヶ月フリーランス生活を送って、再就職しました。備忘録としていくつか書き記しておきます。

 

なぜ就職しようと思ったか

言える理由と言いにくい理由があるのでまずは前者の方を。

 

「人間らしくなりたかったから」

フリーランス生活って、いつ起きていつ寝てもよくて自分の好きなように仕事をハンドリングできて平日を自由に使えて…本当に最高でした。

しかしその生活が10ヶ月を越えた頃から…なんかよくわかんないけどなんとなく具合悪い。と思うようになった。

だるいというか。ぼーっとするというか。

寝ても寝ても寝た気がしない。というかむしろ寝付けない。いつも脳内が腫れている気がする。

ぱっと思いつく理由に

・動かなすぎ(通勤すらなく、数日引きこもるなどザラ)

・画面見過ぎ、タイピングしすぎ(眼精疲労、腱鞘炎)

いやウォーキングくらいしろよと思われるだろうがそれができたらそもそもこんなことにならない。

そして

・部屋着以外のちゃんとした服を着ない、化粧もしない

・人と会わない(コミュニケーションの忘却)

というのも加わり「私はそのうち肉塊になるんじゃないか・・?」と思うようになってきた。

会社勤めをし、決められた時間に起床し決められた時間に出社し、決められた業務をおこなう。実はこれこそが人間らしく生きるということなのではないか…?などと考え始める。

 

言いにくい方の理由はさらっと。一部のクライアントの無茶ぶりに疲れた。

 

どんな会社に就職したか

縁あって教育業界の会社にお世話になることになりました。その中の、出版編集部というところに所属しています。当たり前といえば当たり前ですが今さらライティングや編集以外の職種にはいけないというか、これだけが武器というか…

上司は役職名をつけて呼ぶような会社で、今までみたいな「サンダルOK」とか「音楽聴きながら仕事OK」とかとはほど遠い世界です。めっちゃ大きな声で挨拶とかします。案外順応しています。人ってすごい。

これまでの仕事があった上で、ステップアップとしての就職ができたのでキャリアアップに当たると思います。本当に拾ってもらえたことに万感の思いです。

 

就職直後所感

まだ2週間ちょっとしか経っていないのですが、すっかり人間に戻りました

夜0時に布団に入るとか、朝8時に起きるとか、毎日化粧するとか、なんて人間らしいんだろう!!!

我ながら何に喜びを感じているんだかよくわからないけれどなんか人間になれたって感じで嬉しいよ(頭悪い)。(そしてこれを書いている今が2:44という矛盾)(頭悪い)

 

そのほか思ったこと。

・職場が近いのは絶対正義(通勤ラッシュで苦しまない。時間の無駄もない)

・まじで時間がない。帰宅して夕飯食べて猫のトイレ掃除して洗い物して風呂入ってCOSMUSICAのことをやったらそれだけで3時間はすっ飛ぶ。ハープの練習時間を捻出するのに必死。朝30分、夜1〜1.5hを目標にやっているが0の日もしばしば

ユニクロは最強。オフィスファッションなんてわからないよ〜〜と思っていた一ヶ月前のわたしを優しく抱きしめにいきたい。ユニクロがあるから大丈夫だよって、耳元でささやいてあげたい

・太った(一日1〜2食が2〜3食になり体重増えた)

・靴がほしい(一足だと履きつぶしてしまいそう)

 

眠いのでとりあえずここまで

またいろいろ書きにきます

愛猫が死んだ

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7年間苦楽を共にした愛猫・ましろが7/12に虹の橋を渡ってしまいました。

(写真は生前ですのでご安心を)

私という人間はすぐになんでも忘れてしまうので今のうちにつらつらとましろの最期を書き残しておきたいと思います。

 

***

事の経緯

ましろの体調不良に気がついたのは、3/20頃で、黄色い胃液を嘔吐したのがきっかけでした。

そういえばカリカリの減りが遅いと気づき(うちは置きエサだし、3人家族が気づいたときに入れる方式なので気づきにくい)、さらにハッとしたのは「昨日からシャカシャカブンブンを持ってこない」ということ。

22日のハープレッスンでは先生から「ましろちゃん元気ないですね」と言われて「客観的に見てもそう思いますか!?」とその日のうちに近くの動物病院へ。27日に血液検査の結果を聞きにいったときに、「長くない病気かもしれない」と言われました。

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そのときはまったく病名なども不透明だったのですが、これ以上は地域の病院設備ではわからないということで、4/2に川崎の日本動物高度医療センターへ。がんの専門医に診ていただき、ついにすい臓由来の末期がんだということがわかりました。とてもこれから治療できることはないので、対処療法としてステロイドを打つくらいしかできることはないと言われました。

 

ましろは病院嫌いな猫の中でもおそらく上位に入るレベルで病院が大嫌いなので、つれていくかかなり悩んだのですが、父が「助からないとしても、どうして死んでしまったのかわからないままだともやもやするから」と背中を押してくれたため検査には連れていきました。けれどエコーのために全身麻酔をかけるときに案の定パニックになって糞尿をもらし、なかなかに凄惨な状態で手元に帰ってきて(もちろんドクターたちはできるだけ優しくしてくれたはずです)、そしてましろの怯えきった顔を見て病院にくるのは本当にこれを最後にしようと固く決意しました。

 

***

寛解

ということでましろを連れて帰ったあとは驚くほど何もせず、「なんとか助かる道はあるんじゃないか」と調べたり、がんに聞くと言われている高級な栄養剤を買ったり、といったことは一切せずただ毎日ましろを眺めて過ごしました。

ここに悩みがなかったのは幸いなことでした。末期ガンの猫のためにいろいろと手を尽くすべきか、多くの人は悩むところなのかもしれないのですが、私たち家族(というか私と父)の意見は一致しており、「ありのままにする」というもの。

野生の動物は、具合が悪ければ物陰にひっそりと丸まって身の保全をはかります。そして、自ら死を選ぶことは決してありません。

私もそのようにましろの最後を見守りたいと思いました。

するとどういうことでしょう。

本当に不思議なのですが、病院へ行った日の一週間後くらいから、カリカリを割ともりもり食べるようになったのです。心なしか起きている時間も長くなって、一度はシャカシャカブンブンを持ってきたことも。

「治ったのかも!?」

なんて思うほどは楽観的ではない私ですが、単純に我が子がごはんを食べている姿を見るのは嬉しかったです。

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***

下り坂期

6月の後半くらいから、またましろの病魔が力を増してきて、毎日少しずつ、ましろのからだが重くなっていきました。反して体重はどんどん軽くなって、これまでなでたときに触れることのできなかった箇所をあちこち触れるようになった。

ましろは一日の半分をベッドの下で過ごしていました。寝るでもなく、鳴くでもなく、ただじっと座っているのです。ずーっと香箱座り。何かを我慢しているのか、痛いのか、だるいのか、何もわかりませんでした。

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(水を飲むだけで感激して記念に写真をこっそり撮っていた。気が散らないように消音)

そして1〜2時間に一回リビングに出てきます。私はましろをよーしよしと撫でてやり、粉々にしたカリカリを手でかき混ぜて音を鳴らすとましろがカリカリをくんくん。「頑張れ頑張れ!」と背中を撫でてやると3粒くらい食べてくれます。この“応援”をしないとなぜか食べてくれないから、原稿中でもなんでも、ましろが起きてきたら駆け寄ってなんとか食べるように応援していました。このときほど、フリーランスでよかったと思ったことはないです。

 

そして今月に入ってから、いよいよカリカリも食べられなくなって、食べるのはチャオチュールだけ。それでも食べてくれるのは嬉しい。私の手から、ぺろぺろと食べた。

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(眺めるけれど食べられない)

7/5から、鼻がつまるようになって、腫瘍が鼻の方に広がってきたのだとわかりました。とにかくずっとズルズルと音がなっていて、口呼吸を絶対にしないために相当息苦しそうに見えた。それでもましろは、私が寝る時間になると一緒にベッドに上がってきて、わたしのおなかをふみふみしにきます。

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そして横にぎゅっと丸くなって眠るので、毎日ましろを撫でて、元気な頃だったら絶対に嫌がるような距離感で密着して寝ていました。私が起きてリビングに行くと、必ずついてくる。そしてチャオチュールを食べたあと私が原稿を始めると、じーーーーっとこっちを見て黙っている。仕方がないのでノートパソコンを持って寝室に行くとついてきて、ベッドに上がって丸くなる。そんなこんなで私はほぼ毎日寝室で原稿を書きました(しばしば一緒に寝てしまうことも笑)。

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(これらは病気がわかる前。見返してみると元から仕事中もいつも一緒でした)

 

***

末期

7/9。起床した私のあとを追いかけてきたましろにチャオチュールをあげたら、ふらふらっと転んで痙攣を起こした。両手両足が揃ったまま、ものすごい痙攣でした。以前愛犬を亡くしたときにも痙攣は見ていたので、比較的落ち着いて見守ることができたと思いますが、やはりショックでした。聞いた話によると、痙攣中は意識がなくて、痛みなども感じていないらしい。それでも、痙攣を起こしている我が子をなすすべもなく眺めるのはかなりきつい。

痙攣が終わると、ましろは自分でも何があったのかわからないような様子で慌てて立ち上がろうとしたんだけれどうまくいかず再び転倒。また痙攣した。その日を境に、もう自分で歩くことはできなくなってしまいました。

せっかく買ったのに、一度も使ってくれなかったふわふわの猫ベッド。横たえると、ぴったりだし気持ち良さそうでした。いい感じ。使ってくれたらよかったのに。ね。

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(これは元からお気に入りだったベッドで通称キテレツベッド笑)

目はうっすら開いているけれど、目はもう合わない。ほとんどの時間ぼーーーっと横たわっているけれど、時折自分の足を抱え込むようにして前頭部を押し付け、「にゃああ・・・・!」と悲痛な声をあげていました。ときにはすごい勢いでごろんと一回転することも。脳内に違和感があるのか、割れるように痛いのか、とにかくわからない。でも私の手が近くにあるときは私の手に必死でしがみつきながら悶えるものだから、つらかったです。

「痛いの?かわいそうに」

早く楽にしてあげたいとはじめて思った。

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7/11。どうしてもこの日に(自分の)健康診断に行かなくてはならなくて、非常に不安でしたが家を2hあけることに。その間は母にみてもらっていたので孤独死だけはなかったけれど、それでも絶対に看取りたいという思いがあって、健康診断中、それどころではありませんでした。健康診断とは…。

10分に一回「生きてる?」とLINEで確認。最寄駅から家に歩く4分の間、なぜか泣いてしまった。ましろは生きていたけれど、3回痙攣を起こしたとのこと。私がいないのがわかって不安になったのかななんて思ったりした。

7/12。ましろがベッドで糞尿をもらしてしまった。眠すぎて、よく覚えていないけどとにかく片付けた。次に目を覚ましたとき、なぜかましろは私の両足の太ももの間に挟まっていました。多分もだえながらごろごろと転がった果てにわたしの足の間に挟まったものと思われる。私はまたまた眠すぎてよく覚えていないのだけれどとにかくましろをひょいと持ち上げて初期位置に戻しました。ましろの珍妙な動きにはもはや意思は介在していなくて、それはちょっと壊れたおもちゃが誤動作して、それをいちいち直す作業みたいだった。

私が起きてからましろをリビングに猫ベッドごと連れていったのだけれど、ましろは呼吸が苦しいのか頭をものすごく反り返らせて犬掻きのように足をずっとばたばたさせていました。目はうつろで呼吸量はすごく少なかった。どうにもずっとばたばたしているのでなんとかできないものかと抱き上げたら、止まった。だっこしている間はおとなしくしていたので、らくなのかな?と思って、私はこの日、数時間単位でましろをおなかにのせて過ごしました。

あと鼻くそがこびりついてしまっていたので、とろうと試みました。もうほとんど意識はないんだけれど、鼻を触られるのはそれなりに嫌そうなそぶり。私はそれすら嬉しかった。ある意味ましろの最後の意思表示でした(鼻くそはちゃんと取れた)。

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22:30頃。ましろがしゃっくりのようなものをし始めた。しゃっくり…?と思ったけれどよく見ると呼吸が止まりかけている。

あ、どうしよう。もしかして、もしかする…?

私は全然わからなかったんだけれどましろの顔に自分の顔を寄せて多分ものすごい真剣な顔で眺めていたと思います。しゃっくりのようなものの感覚が、ちょっとずつ広がって、これが最後の呼吸…?と思うとまたしゃっくりする、みたいな感じで。私はただましろのことを撫でていました。

ヒッ…と呼吸をして、ましろが動かなくなった。

「ましろ、ましろ」

私がましろをゆすると、ましろはまた「ヒ、」と身じろぎして、両手両足をぐぐーーーーーーっと伸ばした。まるで寝起きの伸びみたいな感じで、苦しそうにというよりは結構リラックスした感じの、伸び。それでふーーーーーっと息をはいて、スッといなくなってしまいました。

 

魂の重さとはよく言いますが、ましろのいなくなったましろは、本当にびっくりするくらい軽かった。全ての力が抜けて、手足はふにょふにょ。本当に骨と皮だけの入れ物がそこにはあって、まるで脱皮した抜け殻みたいでした。

わたしはましろを抱き上げて、まだふわふわのましろちゃんをぎゅーっと抱きしめました。うちに来てくれてありがとう、家族になってくれてありがとう。心からそう思った。

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(ベイビーましろ)

そしてお葬式のときにかわいい状態で送り出せるよう、顔が変形しないような状態にましろを安置し、穏やかな表情に見えるように目もつむってもらいました(死後硬直の前にしないと直せなくなるということを愛犬のときに学んでいた)。

両親が見舞ってくれて、翌日のペット葬儀の予約もして、ましろと眠る最期の瞬間だというときに初めて声をあげて泣いた。死んでいるのに、ましろはなおとてつもなくかわいかった。

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看取れたし、いっぱい一緒にいられたし、遊んだし、私の中に後悔はなく、ましろもきっと幸せな猫生を送ってくれただろうと思っています。長く苦しむよりはできるだけ楽に旅立ってほしいと思っていたし、できる限りでそのような最期をサポートできたと思います。なので意外にもあまり悲しいという感情はなく。それなのに、ふとした瞬間にわーっと泣く→2分で素に戻る、というのを繰り返しているので頭か体か、どちらかがましろの死についてきていないのでしょうか?

とにかく私は、次に生まれ変わってもまたうちの子になってね、と、それだけ毎日伝えたいです。

 

そしてすごく当たり前のように水飲み機とごはん皿とトイレはそのままにしてあってこれをいつ片付ける気になるかは未知数すぎますがうちに来る人はそのへん突っ込まないでください。

 

最後まで読んでくださった方、長々とありがとうございました。

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没 平成29年7月12日 22:30頃 7歳7ヶ月

会いにいくまでまっててね

ライティング講座:最短…?インタビューざくざく構成術

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こんばんは。ライターのノリコ・ニョキニョキです。

今日は、自分がインタビュー原稿の構成を作るとき、なかなかスピーディなのではないかという仮説から、私の構成のハウツーを簡単にシェアしたいと思います。ただ、人が構成を作っているところを見たことがないので、最短かどうかはまったくわからないというのと、それみんなやってるよとか、そのやり方微妙じゃない?とかがあればそれはもう、ごめんなさい。そういう場合はそっとしておいてください。

 

まず前提として、私の書いたこれらの記事がこのようにして生まれた、というのがわかりやすいように、過去の仕事を貼っておきます。

www.wantedly.com

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さらさらっと見ていただいた上で以下の適当な説明をご覧いただければ幸いです。

 

1.書き起こす

構成とは違いますが、何はともあれまずは書き起こしですよね。

私がインタビュー記事を書かせていただいているWantedly Journalの案件は、ディレクターのHさんが同行してくれます。そして、メインのインタビュアーは一応私なのですが、Hさんもかなり聞き手をやってくれます。

と、いうこともあって、私は現場で全部書き起こしてしまっています。タイピングが自分でも引くほど速いので、よほど早口の人でないかぎりほとんど書き取れます。もちろん録音もしていますが、確認用です。

 

2.サブタイトルをつける

家に帰って、書き起こしを見ます。そしたら、いきなりサブタイトルをつけます。たとえば、最初に話していただいたのがインタビュイーのこれまでの経歴だとしたら、

「〜〜職との出会い」

とかなんとか。この段階ではかなり適当につけます。要するに、何について話しているかあとから目次のように見れればおk。

ちなみにこの作業はインタビュー当日にやるのが一番おすすめ。会話のニュアンスや話しの流れを覚えていて「思い出す」という作業がいらないので、作業効率が段違いに良いです。

 

3.またサブタイトルをつける

読み進めて、「〜〜職との出会い」の話題じゃなくなったな〜と思ったら、次の話題にふさわしいサブタイトル(目次)をつけます。これも、考えすぎずにとりあえずつける。たとえば、「〜〜による転機」とか、「地方での営業時代」とか。

 

4.はぐれトークは森に還す

書き起こしを読んでいくと、これはちょろっと話題がはずれているな、でもあらたに目次をつけるほどでもないな、というはぐれトークに出会うことがあります。(はぐれトークが現れた!)

この子は、いるべき場所に還します。たとえば、序盤に「地方での営業時代」の話を語ってもらって、そのあと別の話題になっているのに、一瞬また営業時代の話しが出てきた…というときなどは、大胆にコピペして序盤の目次のところに入ってもらいます。このとき、つながりとかは気にしません。とりあえずは、とにかく仲間の文脈のところにもっていくだけ。

イメージとしては、色鉛筆を整理する感じ。順番がぐちゃぐちゃの色鉛筆が目の前にあって、きれいに並べ替えてくださいと言われたら、とりあえず同系色のものをまとめて、その中でまた順番を精査しようとすると思います。

そんな感じで、まずは仲間の話題を集める。

 

5.目次は恐れずにつけていく

そのようにやっていくと、これは新しい目次をつけるほどではないかな…?とか、これはどの話題に近いだろう…?と混乱してくることがあると思います。しかし、この段階でそんなこと考えなくて大丈夫。とにかく迷ったら目次増やしましょう。増やした方が、分類も楽です。

 

6.目次をつけ終わったらM&A

なぜいちいちわかりにくいたとえを出すのかという感じですみませんが、目次をつけ終わったら、全体を見て分量バランスで統廃合をおこないます。

目次つけたはいいものの、ここは話し薄いからこっちの話題にくっつけようとか、逆にここは重たいから目次増やそうとかちょっと分量調節をおこなっていきます。それから、より内容を的確に表せるサブタイトルはないか、ここで少し見直したりします。

 

7.思い切ってシャッフル

先ほどの色鉛筆の流れですが、目次によって話題のブロックが出来上がったら、今度はそれをブロックごとに移動します。

もし、めちゃインタビューがきれいな流れで進んで、そのままの流れで読み物として成立するのであればこんなことはしなくてもいいのですが、インタビューというのは普通その場の流れで話題が前後しています。

たとえば、アイスブレイクで何かが盛り上がって、そのまま「今挑戦してみたい事業はなにか」という話題になったとします。インタビューのときはこれが最初の話題だったかもしれませんが、読み手的にこれが一番最初にきていたら、ちょっと読みにくいかもしれない(書き方にもよるけど)。

 

8.シャッフル(つまり構成)に使える小技

1) 私の定石なのですが、今の話題、過去の話題(挫折を乗り越えたか?とか、入社直後と今で仕事観は変わったか?とか)、未来の話題(これからやってみたいこと、業界の将来について思うところなど)という流れにするのが好きです。

ある意味無難ですが、その人のバックグラウンドをひとしきりわかった上で、今後のビジョンを読める構成にすることで、やはり親近感を持ってもらえると思うので。

2) ほかにも、Wantedly Journalではパーフェクト人間ではなくある意味等身大の人間くささのようなものを出す原稿が好まれるので(と言ってもインタビュイーのみなさんは本当にすばらしい方ばかりですが)、前編では仕事のことをかっちりとまとめて、後編で一気にインタビュイーの素の表情をクローズアップしたりしてギャップを作るのもよくやります。

 

9.あとは頑張る

ここまで終わるとですね、土台ができたなあという感じ。ラフですね。あたりがついた感じ。1時間の書き起こしだとすると、ここまでを20分くらいでやります。

あとはパーツごと(目次ごと)に工事していきます。ここからはまあ大変ですよ・・・でもやっぱりインタビューは楽しいです。新しい考えや文化に触れることができて…日頃浮世離れした生活をしている自分からすると、いろいろと衝撃も多い。

こんな機会をくださっているHさんには感謝しかありません。

 

 

綺麗にオチがついたところで、さようなら。

こんな夢を見ました

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あちこちで触れ回っているので身近な人は既知のことでしょうが、愛ネコの末期ガンが発覚しました。

実は幼少期に予防接種で動物病院へ行ったとき、あまりにパニックをおこして診察室でうんこを撒き散らしたのがお互いにトラウマで、

「病気になったらそのときは仕方ない」

と割り切ってそれ以降一度も健康診断に連れて行ったことはありませんでした。

 

といっても、ましろ(猫)さまの血液検査は、末期ガンにも関わらずクリーンなもので、麻酔をして毛剃りをしてエコー検査をしてようやくわかったガンですから、いずれにせよ健康診断で見つかることはなかったでしょう(というのがせめてもの救い)。

 

ましろがごはんを食べないことに気づいたのは、3月20日のことです。21日は結構な雨だったので、22日に気だるそうなましろを連れて動物病院に行きました。

キャリーバッグを死ぬほどいやがるので、レスポの大きなバッグにましろの好きなクッションを入れて、ましろを入れました。ましろにとっては5年以上ぶりの病院です。でも、すでに元気がなく、目をしょぼしょぼさせて私のことを見つめるのみ。

さすがに診察室に入ってからはそれなりに威嚇をしましたが(それすら嬉しい)、とても元気な頃のましろからは想像もつかない気弱な姿を見せつけられました。

 

22日は、「一時的な食欲不振かもしれないから、もう少し様子を見ましょう」と言われて終わりました。私もそれもそうだなと思い(というのもやはりエコーをするには麻酔が必要で、多少のリスクがあるため)、その日は連れ帰りました。ウェットフードを与えたところ、勢いよく食べたので安心したという節もあります。

 

しかしそのあとどんどん食べなくなり、3月27日に再び病院へ。エコー検査をしたところ膵臓の近くに2cm×2cmの影が見えると言われました。これは腫瘍か、もしくはFIPと呼ばれる猫腹膜炎による肉芽腫かもしれない。腫瘍の場合は、場合によっては取ったり抗がん剤治療という選択肢もあるが、FIPの場合は非常に予後が悪い(つまり近日中に死ぬ)と言われ、なにはともあれ腹水を検査にまわすことに。(ちなみに、腹水というのはそもそも病気じゃないと出ない)

 

結局FIPは陰性で、光明が見えてきました。ただ、地元の動物病院ではこれ以上の検査はできないといわれ、川崎の「日本動物高度医療センター」を紹介されました。そこで本格的に検査をし、何か打つ手があるのか、もしくはないのか、あるとしたらその治療をどのように進めるか、ついにわかるというのです。

 

私がヤバイ夢を見たのはその夜のことです。

うまく説明できるかわかりませんが、ちょっと説明してみます。

夢に出て来るのは、ど田舎です。といっても古くさびれた雰囲気ではなく、どちらかというとハイジ的なさわやかさを感じる場所。見通しの良い大草原があって、集落的なところにはスラム街があったり、夢には出てきてませんが一般的なエリアもあったと思います。このへんはちょっと、日頃ゲームしまくっているのでちょっとファンタジーかもしれません。

 

そして、2人の主人公が出てきます。男女ひとりずつ。

女性の方は、一言で言うと、映画『新宿スワン』に出てくる沢尻エリカさんの役。夢の中で名前が語られることはありませんでしたが、説明の便宜上エリカと呼びます。その人はすごく美人で儚くて、諸事情(その事情は知らないが)で体を売っています。彼女を世話しているとも言えるし、酷使して利用しているとも言える男性がおり、エリカはその人の言いなりです。騙されているのではなく、すべてわかったうえで、逃げられないのです。まさに新宿スワン状態。

 

男性の方は(前述の男とはまったく別)、自閉症もしくは知的障害を持つ男性で、おおよそ21歳くらいに見えました。太っちょで、どんくさく、でも純粋です。ここではBちゃんと呼びます(「くん」というより「ちゃん」と呼びたくなる人柄)。

Bちゃんもやはり、ある男性に利用されており、その人は雇い主なのですが、Bちゃんに判断能力がないことをいいことに、非常に低賃金であったり、ほかにもさまざまな悪条件かでBちゃんを酷使しています。けれどBちゃんにはそれすらもわからず、その男性を慕っているのです。

 

ちなみに私とエリカ、私とBちゃんの関係性については夢の中では特に判断できなかったのですが、さほど親しいわけでもなく、だけど村社会なのでお互いの存在は認識しているという感じでした。あえて端的に言うなら、ご近所さんという感じでしょうか。

 

で、エリカはそんな生活をしているので神出鬼没なのですが、ある日ふらっとわたしの前に姿をあらわし、しかもぞっとするほど上機嫌で(多分薬キメてる)、「今日はうちに遊びにきてよ」と言います。

いや、家はやばいだろ(男いるだろうし…)…と思うのですが、偏見はよくないかなみたいな謎の発想でついていくことに。ところがどっこい、家に行ってみると、その男が死んでいるではないですか。

殺されているのですが、殺したのはエリカではありません(現実であれば、なぜわかる?となりますが、夢の中では設定は設定)。エリカも死んだ彼の姿を見て完全に放心しています。信じられないという感じで、薬も一気に醒めましたって感じ。

私はそれまでエリカのおかれた状態に対してまったく当事者意識を持っていなかったにもかかわらず、そんな状況に遭遇し、とっさにこう言うのです。

「逃げよう」

と。

 

前後関係は不明ですが(なんなら同時進行かも)、ぶうちゃんの雇い主が度重なる悪事で逮捕されます。その世界における警察はアウトロー中のアウトローで、その雇い主をめちゃくちゃに拷問します。どういう拷問かというと、機械に左右の足を別々にくくりつけ、左右に引き裂くというもの。しかもそれが録画されているんですね。

…というのを私もぶうちゃんも知らなかったのですが、わたしがぶうちゃんの近くにいるとき、そこになぜかモニターがあって(ブラウン管みたいなやつ)、スイッチがあって押したら、その拷問映像が流れてきました。雇い主が引き裂かれる様子を見て、ぶうちゃんが「どうしようどうしよう!?」とパニックを起こします。私は「こんなもん、みるもんじゃないよ」とスイッチを切り(どんだけクールなんだ)、思い立ったようにこう言うのです。

「逃げよう」

と。

 

かくしてエリカとぶうちゃんを連れて村から逃げ出すことになった私は、草原の真ん中にぽつんと立つ駅に向かって走ります。それは単線列車で、くる電車は一両編成。何に追われているのかわからないけれど、急がなきゃという気持ちが胸に迫ります。

 

駅に近づくと、ぶうちゃんの母親がホームに立っているのが見えました。そして近づいて来る電車。それを見て、「あの人飛び込むんだ」とわかりました。私はとっさに、でも強く「見たくない!!!!」と思い、くるりと後ろを振り向き、念のため目を手でおおいました。そして、音も聞きたくなかったので、ありったけの声で「いやーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」と叫んだのです。そのかいあって、何も見なかったし、なにも聞こえなかったのですが、後頭部に粉々になった脂肪片がくっつくのを感じました。目をあけると、目の前に立ち尽くした(後ろを向かなかった)エリカとぶうちゃんの顔には、肉片が飛び散っています。

わたしはおそるおそる駅の方を向きました。すると、駅周辺には臓器が飛び散っています。しかもその臓器はなぜかかわいくデフォルメされていて、中にはFF14に出てくるオルちゃんも…笑

ちなみにオルちゃんはこちら。

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(©️︎スクウェアエニックス

オルちゃんはタコであって臓器ではないですけどね。

で、いつ現れたのかは不明ですが、気づくと横には飛び降りた女性の母親(ぶうちゃんの祖母…?)が立っていて、今目にしたものが信じられず、現実を受け入れられず、「あらまあ、あらまあ、大変…」と言いながら臓器を拾い集め始めます。

私はゆっくりとエリカとぶうちゃんの方を振り返って、「…とりあえずシャワーあびよっか」と言ったところで、まるでさっきから起きていたかのように起きました。

 

 

…なんの前触れもなくグロくてすいませんでした。私個人の話で言うと、グロテスクな夢を見たのはこの日がはじめてでした。この夢はいろいろ自分の心理状態を反映していると思っていて、たとえば

・エリカとぶうちゃんは社会的弱者→ましろに重なる(自分で病院に行ったりできないし私がなにもしなければなにもできない)

・他人事だったふたりの人生が、「たまたま居合わせた」という理由だけで突如自分の人生とからまる→ひとごとだった闘病生活が突如自分の人生に降って来る

・飛び降りた女性の死から目をそらした→ましろに訪れる死から目をそらしたいという願望の現れ

・逆に女性の死を目の当たりにした“母親”の気がふれて、とんちんかんなことをし始める→かなりうちの母に似ていて、ましろが点滴で一時的に元気を取り戻しごはんを食べ始めたとき母は「すっかり元気になっちゃった!がんは何かの間違いだったんじゃない?このまま元気になっちゃうんじゃない?」と言い出した。逃避は一種の防衛本能だと思うけど、正直げんなりした

 

不思議なのは、なぜ主人公はひとりではなく、ふたりだったのか、しかもいい感じに設定のばらけた男女なのかというところ。もしかしたら膠原病と戦っている母の存在もやはり自分の中で大きく、母もましろも助けたいという深層心理があらわれたのかもしれません。(ちなみに母は先日検査の結果がとても悪く、次の検査でも数値が悪かったら再入院と言われています)

 

 

ちょっと尻切れとんぼかもしれませんが、書きたい部分は書き切れたのでこのへんで終えます(疲れました)。

ちょっと残しておきたい内容だったので、書けてよかったです。やっぱり書くのは好きかもね。では、長々と失礼いたしました。

今、18歳のときの自分に伝えたいこと

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28歳を目前にして思うのだが、後から振り返ると人の“旬”は短い。

そもそも旬とはなんぞやという話になってくると思うが、とりあえず私はもし過去の自分に会えるのならこう言いたい。

 

「何もかも今やれ」

 

と。

 

ある程度自分の意志で動けて、未分化で、そして何より時間がある。

 

暇だと言っているわけではない。実際、社会人は会社に行けばいいだけなのに対して、学生はあれやこれやと手を出したりするからある意味では社会人より忙しいことも往々にしてある。

 

だけど、自分でスケジューリングできる忙しさと、そもそも定時というものに縛られている忙しさは融通の効き方がまったく違う。会社員は忙しいのではなく時間を拘束されているのだ。

 

やる気の問題ではどうにもならない。どんなに頑張っても週に50時間は拘束される。

 

そんな単純なことが、わたしはどういうわけかまったくわかっていなかった。事実としてわかっていても、全然理解していなかった。

 

一度働き始めたら、もう立ち止まることはできない。いたずらに歩みを止めようものなら、電気やガスも止まる。「挑戦できるけど挑戦しない」のではなく「挑戦したくても挑戦できない(もしくは異常なまでのリスクを伴う)」という状態になる。

 

 

言わせてもらうけど、社会には

「手遅れなんて言葉はない」

とか

「何歳になっても挑戦できる」

とかむやみやたらにポジティブな触れ込みが多すぎる。

それはある意味ではその通りだけど、そうじゃないことも多い。というかそうじゃないことの方が実際は多い。

「何歳になってもリスクをとれば挑戦すること自体はできる」の方が正確だろう。

 

 

だからさ、ね。

いつか何か人生のテーマに出会えるかも、とか言っている場合ではなかったんだ。

もし何かできるとしたら、何かを成せるとしたら、学生の4年間が最初で最後で最高のチャンスだった。

そう、あの時わたしは旬だったはずだった。

 

 

私はどちらかというとアクティブな学生だったと思う。ダブルスクールしたりインターンしたりTOEIC900取ったりした。

でも今思えば、すべて表面をなでているような生ぬるさだったと思う。

もっと泥に手を突っ込んでかき混ぜたりまさぐったりすればよかった。

こぎれいな学生生活を送ってしまった。必死さがなかった。

 

 

私は最初で最後で最後のチャンスをうまく使えなかったと思う。

就職に失敗したのも(そもそも就職を試みたこと自体が)自分をわかっていなかった、理解できていなかったからだし。

 

 

もちろんその失敗あっての今だと思うし、今何か取り返しのつかない状況になっているわけではないけれど、それでももうあの資源(自由自在に使える4年間)を手に入れることはないのだと思うと多少の悔恨が残る。

 

 

…でも、18の自分にこんな説教たれたら、「うるせえ、おめーよりよっぽど行動してるんだよ」と言われそう。そしたら「言えてる」って言うほかないな

前略 私はネガティブではありません。

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よく、「世間に対して鬱憤が溜まっているんだね」と言われますが違うんです。ただ議論好きなだけなんです。許してください。

 

今日言いたいのは、私は厭世的ではあるけれども、ネガティブじゃないんですという話。

 

本来の厭世的の意味とはちょっと離れるかもしれませんが、ここでいう私の「厭世的」とはどういう状態かというと、私の場合はとにかく生きることへのモチベーションが信じられないくらい低く、生きてても死んでてもいいや、くらいの冷めた考え方をしてしまう状態です。

 

思うに、うつ病ともちょっと違うようです。悲しい感情を伴っているというより、単純に興味の対象に「人生」が入っていないという感じ。

 

私がポロっと「なんにもしたくないし、なんにも楽しくない」と言うと、「疲れてるんだよ。旅行にでも行ったら?」と言ってくださる方が多いのですが、そうじゃなくて本当に旅行も遊びも含めてなんにも楽しくないんです。

 

とまあそんなスタンスでいると、「ネガティブだね」「悲観的だね」と言われる頻度はかなり高くなります。もしくは「そんな悲しいこと言わないでよ」と言ってくれる人もいます。しかし、考えてみてください。

 

たとえばさほど興味ないドラマがあったとして、続編をやるかやらないかという話になったときに、すごくどっちでもよくないですか?

 

興味ないものは興味ないんだから、興味出せと言われても無理な話。そもそも興味出せと迫る必要性もないかと思います。

 

食べ物の好き嫌いにも似ていると思います。私はレバーがどうしても食べれないのですが、どんなにそのおいしさを説かれても食べられないものは食べられません。

 

「こんなおいしいもの食べれないなんてかわいそう」と言われても食べられないものは食べられません。

 

もっと人生楽しみなよと言われても楽しめないものは楽しめません。それをネガティブと表現するのはやはりしっくり来ないと思います。

 

 

仮に、もし私が「私は人生が楽しくないから、生まれてきた意味がない」とか「私は人生が楽しくないから、楽しんでいる人にばかにされている」とか言ったらそれはネガティブかもしれません。現実以上に、悲観していることになるので。

 

でも私は「私は人生が楽しくないが、死ぬほどではないかな」と思っているので、むしろポジティブとすら言える可能性もあります

 

 

一方で、この思考をなんとかしたいと思っているのも事実です。

なぜなら、「興味のないドラマ」であれば見なければいいだけ、「レバー」であれば食べなければいいだけなのに対し、人生は強制参加だからです。

 

家事が嫌いなのに主婦やるのってつらいじゃないですか。どうせだったら家事洗濯炊事を好きになれれば、毎日の生活も少しは気が楽なものになるはず。

 

人生が楽しくないのに人生をまっとうしないといけないって、やっぱりそれなりにつらいものがあるんですよね。

 

 

しかし。ここにも私はまた活路を見出したんですよ。

なんと!自分の人生が楽しくなくても、他者の人生を楽しむことができることに気がついたのです。

他者というのは、わかりやすい例で言えば恋人ですが。

 

家事嫌いな主婦でも、旦那や子供の喜ぶ顔が見たいというモチベーションがあれば、家事もなんとかなったりすると思います。

それと同じ原理で、人生が楽しくない私でも、他者を触媒にすれば、何かを頑張ろうという気が起こせることがあるのです。

 

 

書いてて思いましたけど、私やっぱりめっちゃポジティブですね。

結論、私はネガティブどころかポジティブ。

 

 

いつにも増してまとまりがない内容になってしまいましたが、まあ誰が読んでるかもわからないブログだし良いよね。

ちなみに、今日の画像のタイトルは「おとなしく抱かれる猫」です。“人生という荒波の中で自己問答しているうちに一時的に悟り顔になった私”のメタファーとして採択しました。

 

それではまたね!