それでも恋するノリコ

恋愛ブログではありません!

アフタヌーンティーについてひとつの結論を言いたい

突然ですが私は #ヌン活 と称して、さまざまなホテルのアフタヌーンティーをレビューするというサイトを超細々と、ろくすっぽアクセスもないけれどもやってきました。

 

teavoyage.net

 

見てもらうとわかるのですが非常に上から目線な内容になっており(ただし意図的なものではない)、見る人によっては不快にすら感じるレベルかもしれませんのでご注意願います。

 

しかしなぜこんなに上から目線な内容になってしまったかというと、あのですね、レベルが低いんですよ(火に油を注いでいく)

 

てかね、アフタヌーンティーがはやってるからって付け焼き刃で参戦するのやめてほしい。金額を考えてくれ金額を。その金額で出せる商品なのか本当にいまいちど考えてもらえませんか。雰囲気がそれっぽけりゃ成立していると思っている担当者、絶対ひとりやふたりじゃないだろ。

 

ヌン活を始める前のわたし(きっとお店ごとに特徴とか違ってそれぞれの魅力があるんだろうな〜それをレポートしていったら楽しいだろうな〜)

 

現実→そもそも土俵に上がっているお店が少なすぎる

 

 

あのね〜ほんとにね〜、「ランチビュッフェのデザートで出しているものを、3段皿にのせるだけでもっと高い金額で売れるじゃん〜」ていうのは結構ばかにされている気分というか、やめろ

 

いや、ランチとディナータイムの間をそういう商品で埋めることは問題ないと思うけど、だったらその金額(5500円とか)じゃないよ。スイーツ盛り合わせ的な感じでお茶一杯つけて2000円でいいじゃないですか。あーなんか腹たってきた笑

 

 

ということでヌン活って継続的にできるものじゃないなというのがこの1年間22回のヌン活を経ての結論です。リピートに耐えうるアフタヌーンティが少なすぎる。なので今回はもう私の中の結論として、金額相応のアフタヌーンティが楽しめるのはここというのをもう発表させていただきまして、今後のヌン活は幅広く研究するというよりも、もう、本当に好きなところだけ通うんだ…。

 

❶マンダリンオリエンタル/オリエンタルラウンジ

teavoyage.net

 

スイーツがいまひとつふるわないのですがセイボリー、スコーン、サービスがとてもよく、私は一番回数行っています。紅茶はカップで出てきて、飲み変えも自由。ロイヤルミルクティーとバニラロイヤルミルクティーがあってあざとい。2人以上・平日という2条件揃うと4700円くらいでとてもお得に楽しめますがこの2条件なかなか揃わないですよね。週末は1000円アップするので結構きわどくなります。1〜1.5ヶ月おきに内容がかわり、それも結構変わってくれるのでリピートできる。私はもはやマンダリン行くために有休や代休を使うのも辞さない。紅茶の種類が増えたらなおよいというか助かります。

 

リッツ・カールトン/ザ・ロビーラウンジ

teavoyage.net

 

スイーツもセイボリーもおいしい。スコーンがふるわない。サービスは塩。お茶は飲み変え不可。ですが週末も金額が変わらないというのが神がかっています。雰囲気も「ざ・あふたぬーんてぃー」という感じで、「アフタヌーンティ行ったことないんだよね〜」という人にはとりあえず勧めておく。季節による内容の変化があまりないので頻繁に行きたい感じではないけれど、安定感がありとにかく人を連れて行くのに向いている。

 

❸パレスホテル/プリヴェ

teavoyage.net

 

4000円台でアフタヌーンティやっているところを見るとスタンディングオベーションしたくなる。しかも週末も同じ値段。しかもしかも夜(仕事後にいける時間)もやってるとか天才かな。

上記2件に比べると食べ物はフレンドリーな感じ(子供も好きな味)。逆にそれがいいという人も多いと思う。おいしいです。マロンシャンテリーが食べられるのも地味に幸せ指数が高いですし、唯一スコーンがないのが不満だったのですが、写真を見ている限り最近はスコーンがのっている。これは嬉しい転換。

季節による内容の変化は少ないけれど、紅茶の種類が豊富なので、「紅茶が好きなのでアフタヌーンティが好き」というクラスタであれば喜んでリピートする。なんせ週末や夜という選択肢があるのは本当に嬉しい。変わっていなければ、ロイヤルミルクティーもあります。なんかこう書いてたら割とプリヴェ最強でした。サービスさんもすごく人間味あふれるというか、フレンドリーな感じで居心地がよかったことを覚えています。

 

 

ということで以上3件です。トップ3とかじゃなくて、リピートできるアフタヌーンティは以上3件です。あとは番外ですが椿山荘はロケーションが特殊なので四季折々行きたくなります。

 

一点だけ、アフタヌーンティに力を入れているようなところでシャングリラだけ行けていません。シャングリラは週末だと6000円にも届こうという金額になるのでいける目処が立っていません。

続・隙間を作る

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ツイッターで済ますつもりだったけれど、事象の連続性をアピールするためにやっぱりこちらに書こう。

 

最近不定愁訴的な心身の不調があるということをうけて、昨日のエントリー「隙間を作る」で睡眠時間の確保、食生活の改善、スケジュールの管理を宣言した。

 

nyoki2.hateblo.jp

 

そんなわけで昨日は、宣言初日くらいは…という思いもありかなり要素を詰め込んだ。

 

まずなにがなんでも0時に寝るという決意のもと、いつもだらだらと後回しにしがちなお風呂を20時に。しかも入眠補助のためお湯もためてゆっくりと浸かり、副交感神経を優位にした笑。

 

夕飯は、コンビニのサラダとスープ(サラダチキンを入れてチンするミネストローネ)なので食生活の改善のうちには入らないかもしれないが、とりあえず炭水化物は食べなかった。生野菜はどうか知らないけどスープは割と消化しやすいものではないか?消化しにくいものを食べたり、寝る直前に食べたりすると寝ている間に胃が活動して休まらないと聞いたのでそのあたりを意識してみた(すべてあいまいな情報でシュールだけど、気持ちの問題だから許してほしい)

 

そしてダメ押しの一手としてホットカモミールミルク(カフェインフリー)もはちみつ入りで飲んだ。無脂肪乳なのですごくおいしいわけでもないが、「ここまでやってやったぜ」という謎の達成感は得た。

 

それからスケジュール管理の側面では、なんだかんだ後回しにしてしまっていた某仕事を昨日かなり気合を入れてやった。いざ始まればなんてことない仕事だけど、なんせ疲れがたまっていたのでずるずると先延ばしにしてしまっていた。思い切って取り組むことで、逆に精神的な負担が少し減った気がする。それから請求する側の処理やされる側の処理など細々としたことも済ませた。

 

で、0時にはちゃんとベッドに入って、しかも1時過ぎには寝れた。

そしてここからが大事なのだが朝はべらぼうに眠くて全然起きられなかった。

 

以上です。

隙間を作る

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自分のブログに行こうと思って検索欄に「それでも」って打つと「それでも僕はやってない」って候補出るの最高だと思います。

 

やってないよ私も(何を)。

 

何がしんどいのかわからないけれどなんとなく心身がしんどいときってありますよね。

 

そういうときって、大抵何かに余裕がない。

寝不足で体力に余裕がなかったり

あれやらなきゃこれやらなきゃって精神的に余裕がなかったり。

 

なんで寝不足なんだっけ、なんでこんなに働いているんだっけ、って考えてみると根本にもっと物質的な問題、つまり「貧乏」があったりして割と救いがない。

 

私に場合、一軒家を買うという身の丈に合わない選択をしたために基本的に返済がかなりヤバいですが、カツカツだとしても買えるんなら金持ちだろうという見解もあり割とわけわからない業火に焼かれています。あゝ、熱い。(とは言え、結局貧乏かどうかは、収入の絶対値よりも収支バランスが問題なので少なくともそういう意味では完全に瓦解している)

 

本当なら日々の何気ない健康というのは、「あ、スタバのクリスマス限定マグ悪くないかも~」と、さほど欲しいわけでなくてもなんとなく限定品を買ってみる、そんな心の遊び(空間的な余裕のこと)から育つはずなんです。(※主観的な意見です)

 

家を買ったことは後悔していないですが、抜本的に金欠で心に遊びがなくて息切れしているのかなとこれを書きながら再認識しました。

 

でもまあないものはないので、少なくとも別のことでは余裕を持てるようにすれば状況は改善するはず。

 

できることは本当はいろいろある。

 

 

まず睡眠時間の担保。

何の病気かわからないが、私はどうしても深夜2時くらいまで起きてしまう病気にかかっている。そして朝はべらぼうに眠い。

一日グロッキーな気分で仕事をする。これはよくない。

今夜は絶対に0時にはベッドに入ろう。入眠障害ブイブイ言わせている今日この頃だけれどそんなの関係ない。言い訳しないでまずはベッドに入る。今日の目標はなんといってもこれにする。

少しでも眠れるように、入浴もしよう。寝る前のホットミルクも導入しよう。なんだか眠れる気がしてきた。

 

 

次に、食生活の改善。

眠いやらだるいやらなんやらで弁当作りをさぼっていたが、最近はコンビニのおにぎりや外食に偏りすぎた。そもそも私は炭水化物を食べ過ぎると具合が悪くなる。これはよくない。

難しいことは考えずにとりあえずブロッコリーを茹でよう(とは)。ブロッコリーは高いので躊躇しがちだけれど冷静に考えて外食に比べれば安い。私はこれから弁当箱の半分がブロッコリー、もう半分が肉と卵というプロテイン飯を作る。

とりあえずブロッコリーさえ切らさなければなんとかなるのだ。なんだか作れる気がしてきた。

 

最後に、スケジュールの管理。

最近ちょっと、過密スケジュールすぎた。当たり前だけれどフリーランスから会社員になると、自由に使える時間が違いすぎていろいろうまく回らなくなる。結果的に、ひとつひとつは楽しい予定でも「身動きがとれない」という強迫観念で具合が悪くなってくる。これはよくない

基本に立ち返り、物事に優先順位をつけて、調整できるものは調整する。前提としてお金は必要なので個人の仕事を最優先したうえで、平日のアフター予定は週2まで。週末は最低でも半日(できればどちらかは終日)はフリーにし、気合いを入れて掃除するのと家族サービスをする。ハープ練習は2日連続では空けない。

ルールがあればパズルをはめるようにスケジューリングができるはず。いい流れを作って取り入れていきたい。

 

 

書くことでもやもやしていたことがずいぶんすっきりした気がします。なんかこういう話し定期的に書いている気がするけど(笑)。

 

最後に話し全然違うけれど最近の関心ごとメモ

・iPhoneXの評判がべらぼうに悪くてちょっとふふってなっている。今後の端末どうしようかな~

・現金をめったに使わないので財布を小さくしたい。冬のボーナスが出たら変えようかな~

・クリスマスの来客sに備えてyogiboをついに買おうと思っている。しかもmax。乞うご期待。

 

海に行きたいな~~~~(年中無休)

(前略)ボドゲにはまっています

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突如ボードゲームにハマっています。今日はボードゲームのどんなところが好きか作文したいと思います。すごく私的な内容なのでつまらないと思いますが悪しからず。

ボードゲームとの出会い

ボードゲームを初めて遊んだのは去年の夏頃だったような気がします。お友達に誘われて、そのお友達の彼が主催しているボドゲ会なるものに顔を出したのが始まりでした。

ボードゲームって、いろいろあるんですよ。ほんとにたくさん。

それで、ボドゲ会っていうのはボドゲ大好きな収集家みたいな方達がいて、そこそこの量のボドゲを持ち寄ってくれている(このIT社会に、めっちゃかさばる箱に入ったアナログゲームを持ち寄ってプレイするというのがもはや逆に新しい)。私のようなパンピーは手ぶらで行けばいい。人数足りなそうな卓の近くで立っていれば入れてくれる。当然のようにどれもまったくルールがわからないんだけど、どの卓にもいい具合に詳しい人がいて、ルール説明を非常に手際よくやってくれる(インストールという)から全然問題ない。一回の説明ではだいたい理解しきれないんだけど「とりあえず一回やってみよう」と言って質問挟みつつやっていく中でいろいろ腑に落ちていくという感じ。

実際にやってみて、「想像と違った」と思ったのを覚えています。想像より、楽しい。というのも、どのゲームも本当によく練られていて、奥が深いんですよ。いろんなゲームがあるけどどれも運要素は必ずあって、強い人でも必ず1位になれるわけじゃないというのがうまいことできている。その運の比率もゲームによって違って、中には運99パーセントという勢いのものもある。個人的には運要素が強すぎるものは「ゲームとして成立していない」という感想なためあまり好まないけれど、そういうゲームも挟みながらやっていくことで遊び方の角度みたいなものがちょっと変わってそれはそれでおもしろいから、トータルで見たらそういうゲームもぜひやりたいと思う。

それからボドゲのおもしろいところはそのコミュニティにある。まず、ネトゲと違ってボドゲはひとりでは遊べない。よって、仲間を増やすことに非常に積極的である。なのでみんな優しい。インストールのときも「こんな簡単なのがわかんないのかよ!」みたいなオーラを出してくる人はいない(もしくはまだ出会っていない)(ちなみにネトゲにはよくいる)。友達の友達、ウェルカムという文化。そして、初めましての人同士がこれと言って名乗ったりせずいきなりボードゲームを囲んで遊び始めるというのもおもしろい。ある意味これはオンラインゲームなどとも似ているかもしれないが、「行きずりの人同士がひとつのコンテンツを囲んで数時間を共にする」というのが引きこもりの私には新鮮だった。結果的に、もう何度も会って一緒に遊んだのに名前を知らない人というのがいまだに普通にいる。というか知っている人もフルネームとかは知らない。私も主催の人に「ニョキニョキ」と呼ばれているゆえにまさか松本という苗字とは知られていないだろう。

(※ですますで書き始めたのに途中からである調になるのはこのブログのあるあるなので許してください)

ボードゲームにハマるまで

面白いなとは思ったけれど最初からすごくハマったわけではなくて、1年くらいたまーにその会に顔を出していたら今月くらいから突如ハマった。何をもってハマったとするかはあれだけれど、具体的に言うとふとした瞬間に「ボドゲやりてー…」と思うようになった。

分析してみたのだが、ボドゲ会に行って、帰るときに、たとえば最初の頃は「ボドゲって奥が深いんだな〜」などの感想を抱いていた。それが次第に「今日、あのゲームでなぜ勝てなかったんだろう」といったようなことを考えるようになっていった。つまり「ボドゲ会」という「イベント」に対する感想ではなく「(勝負という意味での)ゲーム」への所感にシフトしていった。思うに、ボドゲやその界隈のカルチャー?に少し馴染んで、ようやくボドゲ自体に関心が向くまでにこの1年がかかったのではないか。まあ、このプロセスは分析する必要なかったよね。どうでもいいね。

ボードゲームの興味深いところ

ボードゲームは人生に似ている。と、今日思った。まず、出る杭は打たれる。序盤で飛び出してはいけない。残りの3人に潰される。当たり前といえば当たり前だ。ゲームというのは勝つことを目指してやるものだから、いいスタートを切っている人がいれば牽制するのは当たり前体操。だけどこれまで私は「相手を封じることで自分が勝つ」という何かをやったことがなかった。自分が一生懸命やったことといえば受験だけど、自分が高まれば合格できるものであって他の受験生を牽制する必要はなかった。習い事にはバレエなどをしたが、みんなで協力してひとつのものを作り上げるという性質で、誰かをだしぬくというものではなかった。

ボドゲは違う。根底にだますというのがある(事実というより主観です)。手持ちのカードがよかったとしたら、それは極力悟られてはいけないし、めっちゃいいカードが手元にあっても、あえて初めは出さないという駆け引きも必要だ。2番手・3番手を走って、終盤でぱっと1位におどり出る。これしかない。4人とかそれ以上で遊ぶのだから、序盤から先頭を走れば1:3の構図になって絶対に勝ち逃げできない仕様だ。こういう側面が人狼に似ている。何食わぬ顔で出し抜かなくてはいけない。思えば勝負事というのはおおむねこういうものなのだろう。マラソンも、先頭集団にはいなくてはならないが先頭になっては風を受けて疲弊し結果的に先頭を譲ることになると聞いたことがある。考えてみればマリカーなんかそのまんまだ。しょっぱなに先頭に行ってしまうとあらゆるアイテムを使ってあっという間に引き下ろされてしまう。

それから、ボドゲには時に妥協が必要だ。自分との駆け引きとも言えると思うのだけれど、たとえば複数のカードからどれかを引くというシチュエーションで、AとBの2枚のカードで悩んだとする。Aは、もし、この先「ある特定のカード」が出た場合にめちゃ強い。ただ、当然ながら「ある特定のカード」は場に出てこない可能性もあるし、出てきたとしても自分が取れるとは限らない。出てこなかった場合は、Aが全然強くなくて、だったらBの方がマシ、という状況。「ある特定のカード」が出るか出ないかはあくまで確率論というか運の話なのでどっちを選んでも結果によって正解にも不正解にもなるけれども、ここでいろいろ鑑みて十中八九「Bだな…」という選択をするのが私であって、そして私の人生なのである。

人生にはいろいろなタイミングで妥協という選択が訪れる。たとえば第3志望のC社から内定が出て、1週間以内に返事をしろと言われた。だけど第2志望のB社の選考はまだこれからグループ面接というフェーズだ、というときなど。第1志望の会社ならまたわからないが、確実にいける第3志望と、そもそも最終に進めるかどうかすらわからない第2志望だったら、前者を優先する人は少なくないだろう。妥協と言っても前向きな妥協に入るものだとは思うが、ボドゲをしているとなんだかそんなことばかり考えてしまう。

ここで選ばなかったカード、ここで勝負しなかったカード。ボドゲでは、数分後の勝敗を分けるわけだけれど、人生においては数年後の自分の姿を変えることになる。

手元のカードをどうするか。

生かすも殺すも自分次第だと思うと、ものすごく真剣に考える。

そして負けたときは帰りに考える。どうしたら勝てたのか。どこで勝負を間違えたのか。

深いよ…ボードゲーム

就職した話

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アメショを2にゃんお迎えして今日も生きています。こんばんは。

突然ですが就職しました。

14ヶ月フリーランス生活を送って、再就職しました。備忘録としていくつか書き記しておきます。

 

なぜ就職しようと思ったか

言える理由と言いにくい理由があるのでまずは前者の方を。

 

「人間らしくなりたかったから」

フリーランス生活って、いつ起きていつ寝てもよくて自分の好きなように仕事をハンドリングできて平日を自由に使えて…本当に最高でした。

しかしその生活が10ヶ月を越えた頃から…なんかよくわかんないけどなんとなく具合悪い。と思うようになった。

だるいというか。ぼーっとするというか。

寝ても寝ても寝た気がしない。というかむしろ寝付けない。いつも脳内が腫れている気がする。

ぱっと思いつく理由に

・動かなすぎ(通勤すらなく、数日引きこもるなどザラ)

・画面見過ぎ、タイピングしすぎ(眼精疲労、腱鞘炎)

いやウォーキングくらいしろよと思われるだろうがそれができたらそもそもこんなことにならない。

そして

・部屋着以外のちゃんとした服を着ない、化粧もしない

・人と会わない(コミュニケーションの忘却)

というのも加わり「私はそのうち肉塊になるんじゃないか・・?」と思うようになってきた。

会社勤めをし、決められた時間に起床し決められた時間に出社し、決められた業務をおこなう。実はこれこそが人間らしく生きるということなのではないか…?などと考え始める。

 

言いにくい方の理由はさらっと。一部のクライアントの無茶ぶりに疲れた。

 

どんな会社に就職したか

縁あって教育業界の会社にお世話になることになりました。その中の、出版編集部というところに所属しています。当たり前といえば当たり前ですが今さらライティングや編集以外の職種にはいけないというか、これだけが武器というか…

上司は役職名をつけて呼ぶような会社で、今までみたいな「サンダルOK」とか「音楽聴きながら仕事OK」とかとはほど遠い世界です。めっちゃ大きな声で挨拶とかします。案外順応しています。人ってすごい。

これまでの仕事があった上で、ステップアップとしての就職ができたのでキャリアアップに当たると思います。本当に拾ってもらえたことに万感の思いです。

 

就職直後所感

まだ2週間ちょっとしか経っていないのですが、すっかり人間に戻りました

夜0時に布団に入るとか、朝8時に起きるとか、毎日化粧するとか、なんて人間らしいんだろう!!!

我ながら何に喜びを感じているんだかよくわからないけれどなんか人間になれたって感じで嬉しいよ(頭悪い)。(そしてこれを書いている今が2:44という矛盾)(頭悪い)

 

そのほか思ったこと。

・職場が近いのは絶対正義(通勤ラッシュで苦しまない。時間の無駄もない)

・まじで時間がない。帰宅して夕飯食べて猫のトイレ掃除して洗い物して風呂入ってCOSMUSICAのことをやったらそれだけで3時間はすっ飛ぶ。ハープの練習時間を捻出するのに必死。朝30分、夜1〜1.5hを目標にやっているが0の日もしばしば

ユニクロは最強。オフィスファッションなんてわからないよ〜〜と思っていた一ヶ月前のわたしを優しく抱きしめにいきたい。ユニクロがあるから大丈夫だよって、耳元でささやいてあげたい

・太った(一日1〜2食が2〜3食になり体重増えた)

・靴がほしい(一足だと履きつぶしてしまいそう)

 

眠いのでとりあえずここまで

またいろいろ書きにきます

愛猫が死んだ

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7年間苦楽を共にした愛猫・ましろが7/12に虹の橋を渡ってしまいました。

(写真は生前ですのでご安心を)

私という人間はすぐになんでも忘れてしまうので今のうちにつらつらとましろの最期を書き残しておきたいと思います。

 

***

事の経緯

ましろの体調不良に気がついたのは、3/20頃で、黄色い胃液を嘔吐したのがきっかけでした。

そういえばカリカリの減りが遅いと気づき(うちは置きエサだし、3人家族が気づいたときに入れる方式なので気づきにくい)、さらにハッとしたのは「昨日からシャカシャカブンブンを持ってこない」ということ。

22日のハープレッスンでは先生から「ましろちゃん元気ないですね」と言われて「客観的に見てもそう思いますか!?」とその日のうちに近くの動物病院へ。27日に血液検査の結果を聞きにいったときに、「長くない病気かもしれない」と言われました。

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そのときはまったく病名なども不透明だったのですが、これ以上は地域の病院設備ではわからないということで、4/2に川崎の日本動物高度医療センターへ。がんの専門医に診ていただき、ついにすい臓由来の末期がんだということがわかりました。とてもこれから治療できることはないので、対処療法としてステロイドを打つくらいしかできることはないと言われました。

 

ましろは病院嫌いな猫の中でもおそらく上位に入るレベルで病院が大嫌いなので、つれていくかかなり悩んだのですが、父が「助からないとしても、どうして死んでしまったのかわからないままだともやもやするから」と背中を押してくれたため検査には連れていきました。けれどエコーのために全身麻酔をかけるときに案の定パニックになって糞尿をもらし、なかなかに凄惨な状態で手元に帰ってきて(もちろんドクターたちはできるだけ優しくしてくれたはずです)、そしてましろの怯えきった顔を見て病院にくるのは本当にこれを最後にしようと固く決意しました。

 

***

寛解

ということでましろを連れて帰ったあとは驚くほど何もせず、「なんとか助かる道はあるんじゃないか」と調べたり、がんに聞くと言われている高級な栄養剤を買ったり、といったことは一切せずただ毎日ましろを眺めて過ごしました。

ここに悩みがなかったのは幸いなことでした。末期ガンの猫のためにいろいろと手を尽くすべきか、多くの人は悩むところなのかもしれないのですが、私たち家族(というか私と父)の意見は一致しており、「ありのままにする」というもの。

野生の動物は、具合が悪ければ物陰にひっそりと丸まって身の保全をはかります。そして、自ら死を選ぶことは決してありません。

私もそのようにましろの最後を見守りたいと思いました。

するとどういうことでしょう。

本当に不思議なのですが、病院へ行った日の一週間後くらいから、カリカリを割ともりもり食べるようになったのです。心なしか起きている時間も長くなって、一度はシャカシャカブンブンを持ってきたことも。

「治ったのかも!?」

なんて思うほどは楽観的ではない私ですが、単純に我が子がごはんを食べている姿を見るのは嬉しかったです。

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***

下り坂期

6月の後半くらいから、またましろの病魔が力を増してきて、毎日少しずつ、ましろのからだが重くなっていきました。反して体重はどんどん軽くなって、これまでなでたときに触れることのできなかった箇所をあちこち触れるようになった。

ましろは一日の半分をベッドの下で過ごしていました。寝るでもなく、鳴くでもなく、ただじっと座っているのです。ずーっと香箱座り。何かを我慢しているのか、痛いのか、だるいのか、何もわかりませんでした。

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(水を飲むだけで感激して記念に写真をこっそり撮っていた。気が散らないように消音)

そして1〜2時間に一回リビングに出てきます。私はましろをよーしよしと撫でてやり、粉々にしたカリカリを手でかき混ぜて音を鳴らすとましろがカリカリをくんくん。「頑張れ頑張れ!」と背中を撫でてやると3粒くらい食べてくれます。この“応援”をしないとなぜか食べてくれないから、原稿中でもなんでも、ましろが起きてきたら駆け寄ってなんとか食べるように応援していました。このときほど、フリーランスでよかったと思ったことはないです。

 

そして今月に入ってから、いよいよカリカリも食べられなくなって、食べるのはチャオチュールだけ。それでも食べてくれるのは嬉しい。私の手から、ぺろぺろと食べた。

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(眺めるけれど食べられない)

7/5から、鼻がつまるようになって、腫瘍が鼻の方に広がってきたのだとわかりました。とにかくずっとズルズルと音がなっていて、口呼吸を絶対にしないために相当息苦しそうに見えた。それでもましろは、私が寝る時間になると一緒にベッドに上がってきて、わたしのおなかをふみふみしにきます。

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そして横にぎゅっと丸くなって眠るので、毎日ましろを撫でて、元気な頃だったら絶対に嫌がるような距離感で密着して寝ていました。私が起きてリビングに行くと、必ずついてくる。そしてチャオチュールを食べたあと私が原稿を始めると、じーーーーっとこっちを見て黙っている。仕方がないのでノートパソコンを持って寝室に行くとついてきて、ベッドに上がって丸くなる。そんなこんなで私はほぼ毎日寝室で原稿を書きました(しばしば一緒に寝てしまうことも笑)。

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(これらは病気がわかる前。見返してみると元から仕事中もいつも一緒でした)

 

***

末期

7/9。起床した私のあとを追いかけてきたましろにチャオチュールをあげたら、ふらふらっと転んで痙攣を起こした。両手両足が揃ったまま、ものすごい痙攣でした。以前愛犬を亡くしたときにも痙攣は見ていたので、比較的落ち着いて見守ることができたと思いますが、やはりショックでした。聞いた話によると、痙攣中は意識がなくて、痛みなども感じていないらしい。それでも、痙攣を起こしている我が子をなすすべもなく眺めるのはかなりきつい。

痙攣が終わると、ましろは自分でも何があったのかわからないような様子で慌てて立ち上がろうとしたんだけれどうまくいかず再び転倒。また痙攣した。その日を境に、もう自分で歩くことはできなくなってしまいました。

せっかく買ったのに、一度も使ってくれなかったふわふわの猫ベッド。横たえると、ぴったりだし気持ち良さそうでした。いい感じ。使ってくれたらよかったのに。ね。

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(これは元からお気に入りだったベッドで通称キテレツベッド笑)

目はうっすら開いているけれど、目はもう合わない。ほとんどの時間ぼーーーっと横たわっているけれど、時折自分の足を抱え込むようにして前頭部を押し付け、「にゃああ・・・・!」と悲痛な声をあげていました。ときにはすごい勢いでごろんと一回転することも。脳内に違和感があるのか、割れるように痛いのか、とにかくわからない。でも私の手が近くにあるときは私の手に必死でしがみつきながら悶えるものだから、つらかったです。

「痛いの?かわいそうに」

早く楽にしてあげたいとはじめて思った。

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7/11。どうしてもこの日に(自分の)健康診断に行かなくてはならなくて、非常に不安でしたが家を2hあけることに。その間は母にみてもらっていたので孤独死だけはなかったけれど、それでも絶対に看取りたいという思いがあって、健康診断中、それどころではありませんでした。健康診断とは…。

10分に一回「生きてる?」とLINEで確認。最寄駅から家に歩く4分の間、なぜか泣いてしまった。ましろは生きていたけれど、3回痙攣を起こしたとのこと。私がいないのがわかって不安になったのかななんて思ったりした。

7/12。ましろがベッドで糞尿をもらしてしまった。眠すぎて、よく覚えていないけどとにかく片付けた。次に目を覚ましたとき、なぜかましろは私の両足の太ももの間に挟まっていました。多分もだえながらごろごろと転がった果てにわたしの足の間に挟まったものと思われる。私はまたまた眠すぎてよく覚えていないのだけれどとにかくましろをひょいと持ち上げて初期位置に戻しました。ましろの珍妙な動きにはもはや意思は介在していなくて、それはちょっと壊れたおもちゃが誤動作して、それをいちいち直す作業みたいだった。

私が起きてからましろをリビングに猫ベッドごと連れていったのだけれど、ましろは呼吸が苦しいのか頭をものすごく反り返らせて犬掻きのように足をずっとばたばたさせていました。目はうつろで呼吸量はすごく少なかった。どうにもずっとばたばたしているのでなんとかできないものかと抱き上げたら、止まった。だっこしている間はおとなしくしていたので、らくなのかな?と思って、私はこの日、数時間単位でましろをおなかにのせて過ごしました。

あと鼻くそがこびりついてしまっていたので、とろうと試みました。もうほとんど意識はないんだけれど、鼻を触られるのはそれなりに嫌そうなそぶり。私はそれすら嬉しかった。ある意味ましろの最後の意思表示でした(鼻くそはちゃんと取れた)。

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22:30頃。ましろがしゃっくりのようなものをし始めた。しゃっくり…?と思ったけれどよく見ると呼吸が止まりかけている。

あ、どうしよう。もしかして、もしかする…?

私は全然わからなかったんだけれどましろの顔に自分の顔を寄せて多分ものすごい真剣な顔で眺めていたと思います。しゃっくりのようなものの感覚が、ちょっとずつ広がって、これが最後の呼吸…?と思うとまたしゃっくりする、みたいな感じで。私はただましろのことを撫でていました。

ヒッ…と呼吸をして、ましろが動かなくなった。

「ましろ、ましろ」

私がましろをゆすると、ましろはまた「ヒ、」と身じろぎして、両手両足をぐぐーーーーーーっと伸ばした。まるで寝起きの伸びみたいな感じで、苦しそうにというよりは結構リラックスした感じの、伸び。それでふーーーーーっと息をはいて、スッといなくなってしまいました。

 

魂の重さとはよく言いますが、ましろのいなくなったましろは、本当にびっくりするくらい軽かった。全ての力が抜けて、手足はふにょふにょ。本当に骨と皮だけの入れ物がそこにはあって、まるで脱皮した抜け殻みたいでした。

わたしはましろを抱き上げて、まだふわふわのましろちゃんをぎゅーっと抱きしめました。うちに来てくれてありがとう、家族になってくれてありがとう。心からそう思った。

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(ベイビーましろ)

そしてお葬式のときにかわいい状態で送り出せるよう、顔が変形しないような状態にましろを安置し、穏やかな表情に見えるように目もつむってもらいました(死後硬直の前にしないと直せなくなるということを愛犬のときに学んでいた)。

両親が見舞ってくれて、翌日のペット葬儀の予約もして、ましろと眠る最期の瞬間だというときに初めて声をあげて泣いた。死んでいるのに、ましろはなおとてつもなくかわいかった。

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看取れたし、いっぱい一緒にいられたし、遊んだし、私の中に後悔はなく、ましろもきっと幸せな猫生を送ってくれただろうと思っています。長く苦しむよりはできるだけ楽に旅立ってほしいと思っていたし、できる限りでそのような最期をサポートできたと思います。なので意外にもあまり悲しいという感情はなく。それなのに、ふとした瞬間にわーっと泣く→2分で素に戻る、というのを繰り返しているので頭か体か、どちらかがましろの死についてきていないのでしょうか?

とにかく私は、次に生まれ変わってもまたうちの子になってね、と、それだけ毎日伝えたいです。

 

そしてすごく当たり前のように水飲み機とごはん皿とトイレはそのままにしてあってこれをいつ片付ける気になるかは未知数すぎますがうちに来る人はそのへん突っ込まないでください。

 

最後まで読んでくださった方、長々とありがとうございました。

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没 平成29年7月12日 22:30頃 7歳7ヶ月

会いにいくまでまっててね

ライティング講座:最短…?インタビューざくざく構成術

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こんばんは。ライターのノリコ・ニョキニョキです。

今日は、自分がインタビュー原稿の構成を作るとき、なかなかスピーディなのではないかという仮説から、私の構成のハウツーを簡単にシェアしたいと思います。ただ、人が構成を作っているところを見たことがないので、最短かどうかはまったくわからないというのと、それみんなやってるよとか、そのやり方微妙じゃない?とかがあればそれはもう、ごめんなさい。そういう場合はそっとしておいてください。

 

まず前提として、私の書いたこれらの記事がこのようにして生まれた、というのがわかりやすいように、過去の仕事を貼っておきます。

www.wantedly.com

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さらさらっと見ていただいた上で以下の適当な説明をご覧いただければ幸いです。

 

1.書き起こす

構成とは違いますが、何はともあれまずは書き起こしですよね。

私がインタビュー記事を書かせていただいているWantedly Journalの案件は、ディレクターのHさんが同行してくれます。そして、メインのインタビュアーは一応私なのですが、Hさんもかなり聞き手をやってくれます。

と、いうこともあって、私は現場で全部書き起こしてしまっています。タイピングが自分でも引くほど速いので、よほど早口の人でないかぎりほとんど書き取れます。もちろん録音もしていますが、確認用です。

 

2.サブタイトルをつける

家に帰って、書き起こしを見ます。そしたら、いきなりサブタイトルをつけます。たとえば、最初に話していただいたのがインタビュイーのこれまでの経歴だとしたら、

「〜〜職との出会い」

とかなんとか。この段階ではかなり適当につけます。要するに、何について話しているかあとから目次のように見れればおk。

ちなみにこの作業はインタビュー当日にやるのが一番おすすめ。会話のニュアンスや話しの流れを覚えていて「思い出す」という作業がいらないので、作業効率が段違いに良いです。

 

3.またサブタイトルをつける

読み進めて、「〜〜職との出会い」の話題じゃなくなったな〜と思ったら、次の話題にふさわしいサブタイトル(目次)をつけます。これも、考えすぎずにとりあえずつける。たとえば、「〜〜による転機」とか、「地方での営業時代」とか。

 

4.はぐれトークは森に還す

書き起こしを読んでいくと、これはちょろっと話題がはずれているな、でもあらたに目次をつけるほどでもないな、というはぐれトークに出会うことがあります。(はぐれトークが現れた!)

この子は、いるべき場所に還します。たとえば、序盤に「地方での営業時代」の話を語ってもらって、そのあと別の話題になっているのに、一瞬また営業時代の話しが出てきた…というときなどは、大胆にコピペして序盤の目次のところに入ってもらいます。このとき、つながりとかは気にしません。とりあえずは、とにかく仲間の文脈のところにもっていくだけ。

イメージとしては、色鉛筆を整理する感じ。順番がぐちゃぐちゃの色鉛筆が目の前にあって、きれいに並べ替えてくださいと言われたら、とりあえず同系色のものをまとめて、その中でまた順番を精査しようとすると思います。

そんな感じで、まずは仲間の話題を集める。

 

5.目次は恐れずにつけていく

そのようにやっていくと、これは新しい目次をつけるほどではないかな…?とか、これはどの話題に近いだろう…?と混乱してくることがあると思います。しかし、この段階でそんなこと考えなくて大丈夫。とにかく迷ったら目次増やしましょう。増やした方が、分類も楽です。

 

6.目次をつけ終わったらM&A

なぜいちいちわかりにくいたとえを出すのかという感じですみませんが、目次をつけ終わったら、全体を見て分量バランスで統廃合をおこないます。

目次つけたはいいものの、ここは話し薄いからこっちの話題にくっつけようとか、逆にここは重たいから目次増やそうとかちょっと分量調節をおこなっていきます。それから、より内容を的確に表せるサブタイトルはないか、ここで少し見直したりします。

 

7.思い切ってシャッフル

先ほどの色鉛筆の流れですが、目次によって話題のブロックが出来上がったら、今度はそれをブロックごとに移動します。

もし、めちゃインタビューがきれいな流れで進んで、そのままの流れで読み物として成立するのであればこんなことはしなくてもいいのですが、インタビューというのは普通その場の流れで話題が前後しています。

たとえば、アイスブレイクで何かが盛り上がって、そのまま「今挑戦してみたい事業はなにか」という話題になったとします。インタビューのときはこれが最初の話題だったかもしれませんが、読み手的にこれが一番最初にきていたら、ちょっと読みにくいかもしれない(書き方にもよるけど)。

 

8.シャッフル(つまり構成)に使える小技

1) 私の定石なのですが、今の話題、過去の話題(挫折を乗り越えたか?とか、入社直後と今で仕事観は変わったか?とか)、未来の話題(これからやってみたいこと、業界の将来について思うところなど)という流れにするのが好きです。

ある意味無難ですが、その人のバックグラウンドをひとしきりわかった上で、今後のビジョンを読める構成にすることで、やはり親近感を持ってもらえると思うので。

2) ほかにも、Wantedly Journalではパーフェクト人間ではなくある意味等身大の人間くささのようなものを出す原稿が好まれるので(と言ってもインタビュイーのみなさんは本当にすばらしい方ばかりですが)、前編では仕事のことをかっちりとまとめて、後編で一気にインタビュイーの素の表情をクローズアップしたりしてギャップを作るのもよくやります。

 

9.あとは頑張る

ここまで終わるとですね、土台ができたなあという感じ。ラフですね。あたりがついた感じ。1時間の書き起こしだとすると、ここまでを20分くらいでやります。

あとはパーツごと(目次ごと)に工事していきます。ここからはまあ大変ですよ・・・でもやっぱりインタビューは楽しいです。新しい考えや文化に触れることができて…日頃浮世離れした生活をしている自分からすると、いろいろと衝撃も多い。

こんな機会をくださっているHさんには感謝しかありません。

 

 

綺麗にオチがついたところで、さようなら。